ぼくらに何ができるだろうか…
ぼくたち世代は戦争を知らない。
自分たちがこれまで信じてきた社会制度やシステム、国家の枠組みはこれでよかったのか…。それは、人々を真に幸せへと導くものだったか…。そうした、検証をしないで自分たちは生きてきたのではないか…
それが、世界が驚嘆する高度成長への最初の一歩だったことはまちがない。そこには、経済優先社会という魔物が住んでいたけれど、少なくとも、人々は、これまで信じてきた制度やしくみとは別のものを求めて歩んできたのだ。
日本独自の共同体主義を捨ててまで、この国の人々は、自由市場原理と競争社会をグローバル社会の代名詞と勘違いし、アメリカの幻影に支配される道を選んできた。しかし、それでも、人々の生活はよみがえらず、この国の不安は増大してきた。
いや、その道を歩んだからこそ、不安は増大したといってもいい。
そして、そこに、東日本大震災が起きた。
それは…自分たちがこれまで信じてきた社会制度やシステム、国家の枠組みはこれでよかったのか…。それは、人々を真に幸せへと導くものだったか…。そうした、検証をしないで自分たちは生きてきたのではないか…
という、あの問いをぼくらに投げかけた。
という、あの問いをぼくらに投げかけた。
物流も情報も、政治も、マスコミも、すべてが機能しない現実を目の当たりにして、ぼくらは、戸惑い、いままで以上の将来不安を持ち、現実に、多くの人命も失われ、多くの経済基盤が奪われた。放射能という見えない魔物と日常的に向き合う、新しく、悲しい時代を迎えている。
その中で、ぼくたち日本人は、ぼくたち、この島国に生きる人は、どう生きればいいのか…どういう社会がぼくらがぼくららしく生きられる社会なのか、国なのか…
いろいろな不幸は、ぼくらにそれを問いかけている…とぼくは思う。
だが、頼りないぼくらに何ができるだろう… 政治に期待することもできず、かといって世界を変える力などないぼくたちが、できることは何なのだろう…
きっと、何もできないかもしれない。きっと、何も変えれれないかもしれない。しかし、それは、やってみないとわからない。
心をひとつに…。人と人との絆…。マスコミが喜びそうな、そんなキレイな言葉で世界は変わるのだろうか…。
ほんとうに、できることは、悲しい顔と目をした笑顔…そんな気がするのは、ぼくだけだろうか…
「ぼくらは頼りない子どもだから、眼に現れたものしか、みえはしない…」(萩原朔太郎)
だから、ぼくらは、市民同士の顔を、声を、悲しみを それを隠した笑顔を信じたい。
それはかけねなしに、ぼくらの眼には、確かに見えるものだからだ。
大いわき祭は、そんなぼくの、頼りない、小さな願いから始まっている…。