忘れてしまった心の所作
最終話後編の『JIN 仁』は、視聴率26%を越えたらしい。
このドラマが広く受けたのには、理由がある。
この作品を一貫して流れていたのは、戦後65年と10カ月の間に、日本人が忘れてしまった、日本人の美学。生きるための作法、生き方のこわだわりと矜持、そして、それを生活の中で形で示す、心の所作だ。
江戸、明治、大正、昭和の戦前まで脈々とながれていた、その日本人の精神を丹念に描こうとした作品は少ない。
いまではいなくなった、町を仕切る頑固おやじ。使命を果たそうと弟子を育て、患者に正面から向かい合う医師。あるいは、国を憂い、よりよき国にするために、命を投げ出す若者たち…。どこにも損得がない。
緒方洪庵の「人のため、道のため、国のため」という言葉が示すように、かつて、この国にあった、利他の精神を柱とした自助、公助、相互扶助の姿とそれによって、支えられていた、人、地域のつながりと絆…その姿をこのドラマに見たからだ。
「私が行けば、咲はもはや命が危ういと知って、生きる気力を失うやも知れぬではないですか。咲にお伝えください。約束通り、自分の足で歩いて、この家の敷居をまたぐように…」。そういって、母は、両手をつき、涙をこらえていう。「南方先生にどうかお伝えください。咲をよろしくお願いしますと…」
会いたい思いは幾倍もありながら、娘のためにそうした心の所作をとる。この咲という女性も、南方を愛するがゆえに、帰られるものであれば、未来の国へと願う。
鈍感な男たちは、そうした女性の矜持に支えられながら、しかし、実に女性にやさしい。
鈍感な男たちは、そうした女性の矜持に支えられながら、しかし、実に女性にやさしい。
その風景は、オレが子どもの頃は、まだ、大人たちの生活の風景の向こうに透かしてみえていたのだ。
祖父が亡くなったとき、存命だった祖父の姉が49日の法要にきたことがある。
オヤジから、赤塚のおばあちゃんを送っていけといわれ、オレは、市電に乗って、その人の家のある近くまで送り届けたことがある。
そのとき、送りながら、オレは、はっとなった。おばあさんは、決してオレの横も前も歩きはしなかった。大人の男性ならともかく、若造のオレの三歩後ろを決して出ようとはしなかったのだ。
そうしたことがすべていいことだとはいわない。しかし、男性は男性の生き方のルールをきちんと持ち、女性は女性としてのたしなみや矜持を失わない。それがあればこそ、互いを尊敬し、いつくしみ、いとおしいと心から思えることもあるのではないだろうか。
そうした父母に育てられれば、子は、決して、卑屈に心をゆがめることも、他者を踏み台にしたり、見捨てるような子には育たない。