秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

形とリーダー

撮影の現場でも、舞台の稽古場でも、そして、俳優の卵たちを集めたワークショップでも、初めて会った俳優に演出をつけるときに、求めるのは、形(かた)だ。

撮影、舞台の現場では、台本があるのだから、求める形ははっきりしている。ワークショップでは、こちらで指導しやすいエチュード(短く設定された芝居)をいくつかつくり、それを通して、形を学ばせる。

ベテラン、新人にかかわらず、芝居の基本の「形」ができている人が実は少ない。ベテランの場合は、自分勝手にこれが演技だと錯覚した癖のようになった形ができていて、返ってそれが芝居の邪魔になるということもある。

大方、俳優でも演出家でも、「〇〇にように見せたい」ということばかりに気を取られている人がいる。「どう見せたい」ばかりに気がいっていて、「どう見えるか」に心がいっていない。だから、どう見えるかのために、必要な身体の所作の抽斗を持っていない人が多いのだ。所作とは形の学習を通じてしか身につかない。

芝居の所作というのは、日常の所作をそのままやればいいのではない。舞台には舞台の、映像には映像の求められる所作がある。そのために、能楽も歌舞伎も日舞も洋舞も、もろもろのパフォーマンスは所作の鍛錬を幼い頃からやっているのだ。それはすべて、どう見せるかではなく、どう見えるかのためにやっている。
 
実はこれはアスリートにも同じことがいえる。スポーツも、いわば運動の所作の訓練によって技能を磨いている。だから、俳優にせよ、アスリートにせよ、身体能力の低い人はそれに向かない。また、リズム感やテンポのつかめない人はそうした生業は目指さない方がいい。音感は身体所作で何事か表現する人には不可欠な最低限のセンスだからだ。
 
同時に音感のない人は演出などやらないことだ。観客や視聴者が迷惑するし、俳優を育てられないし、指導できない。音感のない音楽のコンダクターでは指揮棒は振れないのだ。

今回の選挙、どこに投票するか迷っている人が圧倒的に多い。まともな政治家や政党がない…という声も出ている。押しなべて、それは、政治をやるという形をいまの政治家や政治を目指す人たちが学び、身に付けていないからだ
 
二世議員や三世議員、なんとかチルドレンなとどいうものが増えるにつれ、政治家の矜持や理念というものが抜け落ちていった。政治家としての一からの教育や試練や鍛錬を受けてない人間、タレント評論家やタレント、ちょっとスポーツやなにかで話題になった人間が供託金と選挙費用の金を持っていれば、いとも簡単に政治家になれる。

つまり、政治家としての形も、それによってつくられる政治家としての所作も身に付けていない、なんちゃって政治家や政党が増えたことで、市民、国民にどう見えるか…ということを考えられない奴らが増えているのだ。
 
どう見せるかに気がいくから、技術のないパフォーマーのようにあれこれケレンミを見せたり、物議をかもして気を引くということをやる

いまの各政党の党首や政治家、政治マスコミの報道を見ると、どれもこれも、どう見せるかばかりを議論していて、国民にどうも見えるかをまったく意識していない。つまり、国民のことを本気で考えているとはとても思えない。

だが、それに惑わされて、どこに、だれに投票するかを迷うという国民、市民にも実は形と所作がない。だから、ますます迷うことになる。面倒だから、歴史のある既成政党にしておこうかとか、実績があるからとか、マスコミによく出ているからとかで、判断し、結局、旧来の枠に立ち戻ってしまう。
 
この国には、いわゆるリーダーがいないのだ。リーダーのような口のきき方をする人間は有象無象いるが、ほんとのリーダーは、まとめあげる力のある人のことをいう。自分の見せたいことばかりを口角泡とばし、あるいは横柄に上から語る人をリーダーとはいわない。

素直さがないと、どう見えるかに心を砕く、形は身につかない。