秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

我欲と願い

人はだれも、これをやりたい、こうありたいと願いを持つ。だが、それは願いであると同時に、欲だ。人を突き動かす力というのは、欲なしでは語れない。だから、欲は否定の対象だけではなく、肯定の対象でもなくてはいけない。

だた、あの異性とつきあいたい、愛し合いたいというだけなら、それはせんじ詰めれば、性欲の延長でしかない。だが、あの異性のために自分は何かができるのか、自分が控えることでその人が幸せであるなら、それも受け入れよう…といった男女の機微にも、我欲と願いの違いがある。
 
あの仕事で認められたい、有名になりたいというだけなら、それは地位や名声を求めれるだけの我欲でしかない。だが、いい仕事をしたい、それさえあれば、どのような苦難があっても自分の喜びとすることができる…といった仕事の作法や流儀においても、欲の質と内容が変わってくる。
 
自分の中にある欲とどう向き合い、欲をどう生きるのか…それが人の欲を願いにかえられるか、我欲で終わらせるかの違いがある。
 
正月と正月明けの今週、TBSの日曜劇場の番宣をかねて、最高視聴率30%を越えた「JIN」が再放送されている。コミックの原作を読んでいないから、ドラマだけの判断だが、あのドラマは、まさに、それをテーマに描かれている。
 
いかに周囲から立派だと評価されようが、南方という医者は、自分の中にある欲と絶えず向き合っている。南方を慕う咲という女性も、また自分の欲と向き合い、欲を願いへ変えようと自分と闘い続けている。その清廉さが人の胸を打つ。

それは、簡単にいえば、受け入れるということだ。自分の眼に入った現実、自分が出会った人、自分が遭遇した困難…思い通りにならない現実を否定するのではなく、受け入れ、それをどう生きるかを考えるということだ。

人には思い通りにならないことがある。いや、思い通りにならないことの方が多い。その中で、自分を律し、だが、ときには過ちも犯し、思い通りにならない現実も現実なのだと認める潔さがいる。だれかのせいにするのではなく、また、自分を卑下するのでもなく、その中で、単なる我欲を越える、なにかと出会おうとする…

そこに、人のため、道のため、国のためという、願いが初めて生まれる。

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