同じ時代に生まれた若者たち
国会審議が空転状態になっている。
そのいずれも最終的には、現政権の危機管理能力を問う議論になっている。政権の脆弱を徹底的に追及するという中で、失言をした法務大臣が更迭され、官房長官、国土交通大臣の問責決議案が今日にも参議院で可決される。
その間、補正予算審議は止まったまま。年末から年始の経済対策として国会を通さなければ、国民生活に支障が出る法案は置いてきぼりにされている。
しかし、その光景は、滑稽としかいいようがない。
危機管理の問題は、自民党時代からあったこと。なのに、まるで自分たちには、危機管理能力があるがごときに、与党攻撃をする。民主党への政権交代の引き金になったのは、小泉構造改革の大失敗が大きな原因だが、同時に、森元首相や安倍元首相など、危機管理の希薄な脆弱化した自民、および自公連立政権への国民の不満があった。
つまり、自民にしろ、民主にしろ、政権を担うだけの力強い政治家や政治家集団がいないということなのだ。その中で、大して力量もない人間たちが、互いのしっぽをかみ合うように、キャンキャンと吠え合っている。
国会中継を見ると、どこか人間の浅ましさ、愚かさ、弱々しさを眺めているような、虚しさに襲われるのは、オレだけだろうか。
うわついた正義ばかりを論じ、国防を語ることで国民の関心が呼べると思っている。
そして、国民も勇ましいうわついた正義の大合唱に賛同し、国防を語ることで、生活の現実から逃避した。それがあの愚かな戦争の始まり。
目先のことだけに右往左往していては、国際的にも、国内においても、この大きな変化の時代、どこへ向かって船を進めるかの羅針盤が見えてこない。
おそらく、それを持っていて、頑なに実行できる政治家は、小沢しかいなかっただろう。
ということに、国民がやっと気づき始めている。ある世論調査で、次の首相は? と問われて、小沢と答える人間が一位を占めていた。
これもまた、滑稽なことだが、所詮、きゃんきゃん吠えるような政治家しか選べない国民の民度を考えば、それもあって当然のこと。
政治がゆれているのは、政治家や政党の責任ではない。国民一人ひとりの責任なのだ。もっといえば、愚かな大人たちの責任なのだ。
今朝のテレビをみていると、ある曲が流れていた。腐男塾の「同じ時代に生まれた若者たち」という、あのお笑いの塙がプロデュースした曲。
この国のていたらくに、若い奴らには、必要な歌だ。