秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

確信を失った犯罪者

今日、明日は、ブッティストの有資格授与の研修がある。
 
こうした資格を取得するための勉強を自分がやるとも思っていなかったし、また、資格がもらえるとも思っていなかった。
 
そうした資格に値する自分という自覚もないし、それに見合う生活行動やふるまいができているかといえば、否だろう。
 
普段、傍若無人で、横柄なオレだが、どうもこういうきちんとした資格や立場になると、オレがかよと責任を感じてしまう。その気持ちが、普段、振り返らない自分のあり方をみつめさせられることにもなる。
 
これまでの人生、周囲の迷惑と温情の中で生きてきている人間だから、自分をふりかえれば、まるで確信を失った犯罪者のように、おろおろしてしまうのだ。消しゴムで、自分を消したくなる。
 
だが、自分のやった過去の業は、消しゴムでは消せないようになっているんだな。
 
せいぜい、できるのは、油絵のように上塗りをしていくしかない。つまり、過去の過ちの上にしか、人はその過ちを修正していけない。それが生きる痛みを持つということなのだろう。
 
このところ、酒量が増えている。テーマが重く、演出の難しい作品の制作に入っていることもある。秋を越えて、いきなり冬並みの季節になって気候についていけなくなっていることもある。自分の作品を棚上げにしていることもある。
 
あわただしさの中で、自分をみつめろと腕をとめられる。とめられるような出来事と出会う、あからさまになる…。
 
オレは、10代の初めから、何度も変身してきた。だいたい、5年おきくらいに人生が変わっている。あんなことやこんなことや、そんなことまでやってきた人生。よくもまぁ、ころころと人生が変わっている。人を翻弄し、自らも翻弄された56年。
 
山本周五郎の「赤ひげ」の中に、自分の罪に目覚めて自刃する旗本のぼんぼんの話があった。
 
確信を失った犯罪者は、おろおろとそんなことを考える。