秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

アナーキーな社会の到来

FBで原口一博衆議院議員と友だちつながりにしてもらった。
 
オレの本籍地、佐賀市が選挙区。偶然ながら、オレの姉は、いまあるブッティスト団体の仕事で佐賀教会の教会長をやっている。姉からは以前から、原口氏のことは話に聞いていた。
 
返信に、妹様ですか…とあったのは、オレのアイコンがいま、ソフィア・コッポラの若い頃の写真にしてあるから(笑)。FBの親しい連中でも、しばらく気づかなかった(笑)
 
政治家との仕事も比較的多いオレだが、とりわけ民主には知り合いが多い。しかし、原口氏はテレビで知ることはあっても、ほかの政治家のように直接会話を交わすことはなかった。そうしたことが、容易にできるツイッタ―やFBの市民性の高さ…。それが、オレがFBを人にも勧める大きな理由のひとつだ。

FBでも、普段でもだが、そうした政治、論壇系でも、基本、オレが継続的にコネクションを取り続ける人は、アナーキーな人が多い。
 
なぜか。
 
帰属した集団や組織(いま帰属している現役であるかどうかは別にして)に、がんじがらめになっている人の話は、基本、おもしろくない。また、こちらの自由な発想を理解されない。また、そうした人は権威的であったり、経験主義だったり、保身や上昇志向ばかりが見えたりする。
 
そこから自由であっては欲しいが、それがすべて嫌だとは思っていない。しかし、社会を変える力はそこから生まれないのは、一目瞭然だからだ。石橋を叩いても渡らないという細心さは戦略上重要だが、そうした人は、基本、石橋を渡らない。
 
直接、先人と仰ぐ師がいなかったこともあるし、自分がやろうとする仕事に手本がなかったのもあるが、前例や事例というもののないところで、これまで自分なりに道をつけてきた人間は、前例や事例がいかに当てにならないかを知っている。また、そうしたパイオニア的見切りがないと、支援も援助もないところで、前に進めるものでもない。
 
幸いにしてというか、FBを始めてから、自分の思いや願い、いままでの道のりと同じテイストの中にいる人とずいぶん知り合えている。また、そうした姿勢に共感してもらえる人との出会いも多い。まさに、FBの申し子状態(笑)。

そうした中で、原口氏に直接コメントできる機会を得られたのは大きい。総務大臣の頃から氏は、ツイッタ―やFBといったモバイルツールの重要性、行政、教育における電子化を主張し続けていた。
 
今回の震災において、もっと早く地方行政や団体にこのツールがシステマティックに導入されていたら、被災地の詳細な情報がもっと早くリアルタイムで把握できていただろう。市民の支援も、点ではなく、連携として被災地に提供できていたと思う。
 
同時に、いま原口氏は郵便局を起点とした支援ネットワークをつくろうとしている。日本の共同体地域において、郵便局の機能がこれほど再考されているときはない。
 
つまり、いいたいことはこうだ。
 
FBのようないわばアナーキーなツールを自在に使い、市民ネットワークがつくられ、それが地域の人的共同体と連携できれば、いままで市民がえれれなかった地方の情報が身近になり、かつ、地方、地域と都市の距離が驚くほど近くなれる。
 
そうなれば、いろいろな社会的リソース、とりわけ、都市にしかない社会資源を地方に流入でき、かつ都市が失った共同体の機能を都市に流入することができる。そのしくみをつくることが、新しい日本の形をつくっていくことになる。それは、市民によるアナーキーな社会といってもいい。
 
それはどの政党、どの団体、どの所属というこれまでの帰属の枠組を変えていく。
その時代が来ようとしていることを、原口氏のみながず、市民力のある市民が気づいている。
 
FBのおもしろさ、すごさが、いまそこにある。