秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

自分の言葉になってこそ

東映のCプロデューサーから連休中、仕事の件で送っておいたメールに返信をもらう。オレたちの仕事は、連休も祭日もないが、連休明けの今日でもよい返信にメールをくれる。そういう人なのだ。
 
数年前、手術をするような病気になった。実直で、生真面目な性格からくるストレスだろうと思った。いま、責任あるポジションにいて、以前にもまして、周囲に気を遣わなくてはいけないことが増えた。それがまた、大きなストレスにならなければと思う。
 
だが、病気をしてから、Cさんは変った。役が人をつくる。という言葉があるが、責任あるポジションについてからは、役にみあった、落ち着きと深みも生まれた。
 
そのCさんが十年近く関わり、オレが、団体が解消される最後の頃に仕事をしたのが徳島県の人権啓発推進団体だった。
 
人権啓発映画には、途轍もなく厳しいことで有名なAさんがいて、関西の人権団体や徳島県選出の国会議員でも、知らない人はいないほど、よく知られた、おばさん。
 
オレの向っ気の強い性格を一瞬に見抜いてもらって、議論をしながら、しかし、自由に作品をつくらせてもらえた。間に入って、当初はCさんも大変だった。だが、一つ作品を乗り越えてからは、これまでなかった信頼とつながりを持てたと思う。
 
Cさんとこの間、いまやっている企画の確認をしていて、「負けてしまうような終わり方はよくないと思うんですよ」と、シノプシスの結末に意見をくれた。「人権は前進させなくては、見る人の啓発にならない…」という主旨の話だ。
 
その言葉は、Aさんがいつも議論の中で口にする言葉だった。そのとき、ああ、この人の中に徳島でAさんにボコボコにされながら、学んだことが、すっかり血肉になっている。そう思った。
 
いや、Aさんだけではないのだろう。いままで仕事をしてきた中で、批判され、文句をいわれ、コンペに負けながら、Cさんは、自分たちの仕事が何なのかをしっかり身につけてきたのだ。
 
そして、それはオレ自身の姿なのだなと、はっとなった。
 
人は人にぶつかり成長する。自分の思いが伝わらないことに苛立ち、自分の気持ちを撥ねつけられて、落ち込む。どうしてうまく伝わらない、思い通りに無難にことが進まないのか…。そんな思いの中で、成長していく。
 
だが、その成長が血肉になるのは、そう簡単なことではない。言葉や頭でわかっていても、それが普段の言動に、人から見て、納得いく言動になるのはたやすいことではない。
 
よく、オレは人にも言うし、自分にも言い聞かせていることがある。
 
「自分の言葉で語ってこそ、わかったといえる」。人が教えてくえたこと、人から学んだこと。それをただ、繰り返すだけなら、だれにでもできる。だが、本当にわかるということは、学んだことを自分の言葉で語れることだ。自分の言葉になることだ。
 
それができないうちは、なんとなくわかっているだけに過ぎない。オレはそう思う。何かのときに、いつでも、どこでも、自然に言葉になってでてくる。それが、学んだことが自分の体に入っていることなのだ。
 
オレもCさんも、きっとAさんに鍛えられ、それを学んだ。Aさんは、厳しかったが、それが人を覚醒させ、もっと深い学びへ導くものだと確信したと思う。だから、Aさんに刺激されたのは、オレたちだけではない。
 
人の思いや願いはそうやって伝わる。
 
なおざりなふれあいで、人の熱い思いはつながっていかない。