秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

バトンに託した思い

久々の筋肉痛。前日の筋トレが利いている。
 
前日の痛みは、まだいい方で、40代の頃から前日の疲れは翌々日に出るのが相場。すぐに疲れを発症できない。だから、回復も遅れる。そもそも筋肉痛は、炎症のひとつ。怪我みたいなものだ。
 
高校生の頃、演劇部の芝居の稽古で生傷が絶えなかった。その傷を見たオヤジが、「若いうちはすぐに傷が消えるが、歳を重ねるとその傷の回復がだんだん遅くなるぞ…」。と、ポツリとオレに教えてくれたことを思い出す。
 
前日、久々にハンナのばばあの店に立ち寄った。すると昨日、夕刻、突然の来訪。ばばあは、いつも予告なしで、しかも、ピンポンもならさないでやってくる ま、いいのだが、そして、いつも、「入っていいのかしら? 女でもいて、入っちゃいけないのかしら?」などと、戯言をいいいながら、上がり込む
 
六本木にあるヨーグルトアイスをおみあげに持っていったのだが、そのお礼にと、なぜか湿布薬をくれる。
 
別に昨日、オレが筋トレをやったことなど話してはいないのだが、普段から、いつも肩や背中、腰や足が痛いと疲れるたびに愚痴るものだから、いつか、自分が定期的にいっている病院にいくと、処方箋薬局でわざわざ買ってきてくれるのだ。病院の湿布薬だから、これが、また実に利く。ばばあの姿に、ちょい、自分のおふくろを思い出す瞬間…。
 
このところ、忘れっぽくなったし、明らかに記憶が曖昧になり始めている。言葉がからむという高齢者特有の症状も以前よりは、めっきり多くなかった。歳をとったなと改めて思う。
 
うちのオヤジもそうだったが、75過ぎ、80歳近くかそれ以上になると、がくんと老ける。人によるが、70代まではそれほど老いを感じさせない人でも、80歳代に入ると、老いの気配が秋の釣瓶落としのように、急に出る人がいる。
 
「それほどに、70代と80代は体力に違いがあるぞ」と、これもオヤジの言葉だ。
 
ばばあにしろ、オヤジにしろ、それが奴らが育った時代のせいもあるのだろうが、先に道を歩む者として、年下の奴らに、ふと、そんなふうに、これから歩む道筋について、あるいは、老いることの作法や心得になるものを若い世代にそっと教えてくれる。
 
それがきっと、ばばあやオヤジたちがされてきたことなのだろうし、そのことをきっと自分たち自身も後に齢を重ねて、ありがたいと感じたことがあるのだろう。
 
先を歩むものからのそうしたささかなやいのちのバトン。
 
実は、オレたちから下40代以下の連中には、これが意外とされていない。団塊世代を中心に、人生を生きることの意味の伝達の継承が途切れてしまったからだ。結果、モデルとなる上司像、父親像、母親像がなく、自分が年長になってきて、後に続くものに伝える言葉をみつけられない連中が増えている。
 
趣味や個人的な興味については語れても、普遍性の高い話題やコンセンサスを取らなければいけない話題、方向性を求められる生活話題に弱い。とりあえずは、いま、いまの自分を生きることが背一杯で、周囲、取り分け、年下の連中との関わりがド下手。つまり、他者性を上手に生きられないからだ。
 
それが世代の移り変わり、時代の移り変わりと片付けることも、いけないことではない。だが、この世に生を受けて、いまという時代や時間を生きさせてもらっている以上、歳を重ねれれば、人として、自覚し、身につけ、たどたどしくとも、いのちをつなぐ、ひとつのいのちとして、バトンを渡せる大人であろうと努力することは、人間としての基本だと、オレは思う。
 
自分が受けた、年長の人間たちからの恩恵は、直接には実感がなくとも、そこから何かを学び、感謝できる自分でなければ、自分の言葉の重みも真実も、下の若い世代には通じない。それができていると、大方の連中は思い込んでいるが、実は、それほど、通じていないし、思うほど充実していないのが、自分なのだ。
 
渡せるバトン、受け入れてもらえるバトン。それを求めて生きたきた人生の言葉だから、オレは、ばばあも、オヤジの言葉も、素直に聴けるのだ。
 
そこには、きっと託したい思い、願いがあったからだ。相手を思う、自分の次の時代を思う利他の心がなければ、きっとそれは生まれない。