秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

甘え

昨夜は、Redで一人飲み。していたら、ネーリストのKがこの間のご馳走の御礼にと、タバコを二箱もってきてくれる。

自分のタバコを買いに出たら、奴の一番下の大福ほっぺの娘が、「あ、カントクだ」と窓越しにオレをみつけ、ならばとタバコを買ってきてくれたのだ。Kの足元に隠れ、チビがいることにすぐに気づかなかったが、オレが気づくと、かまってもらいたい目線ありあり。あごの下をくすぐってやると、もっとしてよ、の視線にしばし、ぼちゃぽちゃの大福娘をいじる。

幼児とはいえ、やはり、自分をかまってくれる、いい男はわかるのだ。きっと奴は、オレにほれている。

子どもたちを布団に寝かして、Kが一杯やりに戻ってくる。この不況のご時勢、最初に金をカットすのは、自分にかけていた費用。まさに奴のやっているネールなどは、ど真ん中。イワが助け船を出そうと、自分のサロンでKのネールサービスを、という話が進んでないというので、イワに電話するが通じない。

ならばと、思い立ったのが乃木坂界隈のばばあたちに顔のきく、ハンナのばばあ。こういうことは、早い方がいいと、飲みかけのハイボールをそのままに、店を出て、ハンナのばばあにKを紹介する。

下町育ちのKは、ハンナのばばあに下町のおばさんたちの空気感と同じものを感じたらしく、いたく感動していた。

若い頃は、自分の力と責任で物事を片付けなければならいと、誰もが思う。まともな家に生まれ、まともな親に育てられば、人様に頼ったり、迷惑をかけてはいけないと教えれるのが普通だ。

しかし、この世の中、自分の力だけではどうしようもないこともある。時には、人に甘え、人の懐に飛び込んで、無理難題をお願いするのも必要なことだ。何とかしてやろう、力になってやろう。そういう思いを抱いてもらえるのは、恥かしいことでも、怠慢でもない。

一生懸命にやっていれば、人に甘え、頼ることは、慙愧の思いに駆られるだうが、それを経験するのも、人を大きく成長させてくれる。人に甘えるのが苦手というKには、それを克服し、いま以上に、大きく成長して欲しい。

ハンナのばばあとの縁がどうKの役に立つかはわからないが、基本、年上や世話焼きおばさんに、きっと受けがいいと読んでいるオレは、いい感じで、ばばあにも甘えてくれたらと思う。

こんなことを書いていると、さも、オレが人のいい紹介者のように聞こえるかもしれないが、実は、Redの古い常連らしきオヤジとその部下らしき連中が飲んでいて、オヤジが不愉快な説教的、歪曲した歴史論を展開していた。まるで、田母神並の勝手な歴史論を滔々と語っている。その声がやたらでかく(オレもだが)、その話の内容にかなりムカついていたのだ。

コレドだったら、すぐに食いつき、議論をふつかけ、ボコボコにしていたところだ。ま、コレドには、あんな歪んだ歴史認識を自慢げに語るようなオヤジはいないが。

キレる前に、Kがちょい愚痴をこぼしてくれたのは、実は、オレには救いだったのだ。

若い奴らをつかまえて、自分本位の歴史観を押し付ける甘えは、端で聞いていて、気持ちのいいものではない。

同じ甘えでも、こちらは、志が低すぎる。