秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

日本国憲法

子どもたちが日本の政治を理解し、公民意識を育めれば。そう思って、初の自主の副教材に取り組んだ。

きっかけをくれたのは、青山村の美容師イワとふわふわベティだ。

大人でも、日本国憲法国民主権、議会制民主主義のあるべき姿をしっかりとは理解していない。だったら、まず、子どもたちにそれを伝えるところから始めなくてはいけないのではないか…。

もう半年近く前、三人で役場で飲んだ夜、イワの矢継ぎ早の質問に答えながら、オレは心の中で、そうつぶやいていた。最後に、「私、もう一度、日本国憲法を読んでみようかしら…」。そういったベティの言葉で、決めた。

東映に制作してもらう、そのフライヤー原稿を書き終えて、担当のKさんに送る。価格設定はメーカーに決定権があるが、こうした作品には、なんとない合意があり、これくらいの定価が相場というのがある。

フライヤーをつくりながら、もっと安くてもいいのでないだろうか。少しでも多くの子どもたちに見てもらえることの方が、オレのビジネスより、ずっとずっと大事なのではないか。そんなことを話したら、Kさん、電話の向こうで、苦笑いしている。

オレらしいと思ったのだ。「秀嶋さん。安くしたからって、売れるものでもないんですよ。気持ちはわりますけどね。無駄に秀嶋さんが損をするだけになりますよ」と、軽く、諌めてくれた。はっきりそうはいわないが、Kさんがそういおうとしているのが、すぐにわかった。Kさんは、そういう人だ。

オレが政治や社会問題に心が動くようになったのは、幼少年期の体験が大きい。戦争は二度とやってはならない。そう固く決意した、戦争体験を持った大人たちが身近にいたこともある。沖縄、長崎、広島は遠いことではなかった。朝鮮半島の不安定は、福岡という近接した土地に育つ子どもにも身近なことだった。

が、しかし。それをオレに直接、直裁に訴えたのは、中学校の社会科の授業だったし、そこで学んだ日本国憲法だった。それが、高校時代、「政治経済」という科目に強い興味を持つ動機にもなったし、結果、大学受験の社会は、受験校が限定されて不利なのを承知で、「政治経済」を選択した。

オレの政治や経済、社会問題への憤りや叫びは、そこから始まっている。日本国憲法を始めて読んだときの、戦慄する感動をオレはいまでも忘れない。オレは教科書の巻末にあった条文をビリリとやぶいて、赤線だらけにして、ポケットの中にいつも携帯していた。

その戦慄がどうして起きたか。簡単なことだ。現実社会と日本国憲法があまりに解離しながら、しかし、人間の理想、世界の理想を勇気と矜持を持って語っていたからだ。あるべき人の姿、社会の姿、国の姿、国と国との関わりの理想が、日本国憲法にはすべて、述べてある。

言葉の難解さは問題ではない。難関であるからこそ、その向こうにある当時の日本人の強い願いと復興へ向けた決意、進取の精神がひしひしと伝わる。

日本人が日本人であることの誇りを取り戻そうという強い意志が込められている。それは、世阿弥の「花伝書」を原書のまま読む方が、世阿弥の意図が強く、胸を打つように。

オレが社会問題や人権啓発などという作品を、特に、子どもたちに向けてつくり続けているのも、実は、日本国憲法の精神を知って欲しいからだ。社会を変える力は、どこにでも生まれる。力ある大人でなければ、できないこともある。

が、しかし。子どものときに、強く印象づけられた願いや思いがあるからこそ、それはできる。

だれか一人が火の玉になれば、その火が、100人、1000人、10000人のうちのだれか一人に火がつく。そのだれか一人が火の玉になれば、それが、また大勢の中のだれかに火をつけることができる。

地域を、社会を、国を、世界を変える力は、そこにある。

日本国憲法の条文通りにならない、なっていいない地域、社会、国、世界の中で、どれだけ多くの人々が、貧しさや病気、差別や偏見にさらされ、高慢さとエゴが蔓延しているか。傷つき、孤独と寂しさの中で、生きる人々がいることか。

日本国憲法を読むと、オレはいまでも、そのあまりに美しすぎる理想に、涙があふれてしまう。