秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

こころをつなぐ

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西巣鴨に、維新派の芝居、「ろじ式」を観にいく。

旧中学校を改装した、劇場&多目的スペース。東京都の肝いりで、アートスペースとして再利用されている場所。

校門を入ると、屋台村ができていて、完璧に昭和。校庭の中心には、オブジェ。劇場は体育館を改造したものだ。

かつての小劇場の野外劇を思わせる。60年代後半から70年中盤まで、一世を風靡した、新宿花園神社での唐十郎の赤テントのノリ。屋台村からすでに演劇の時間は始まっている。洗練されていない屋台村。そこには、道頓堀や通天閣の大阪のにおいがする。

唐の芝居や早稲田小劇場の舞台を観ているオレにとって、維新派の芝居は、もともと想像の範囲内にあった。社会学者のM氏の事前レクチャーもあったからだが、M氏は、小劇場盛んな頃、麻布中高でがつがつ勉強していた頃だから、維新派の舞台に大きな衝撃を受けたのだと思う。

が、しかし、昨今、こうした身体性にこだわった舞台がほとんどない中、所作と踊り、身体がかもしだす音と、その記憶に頼った芝居はそうない。

演劇には、演劇にしかできない表現がある。戯曲主義のセリフを中心とした芝居にせよ、戯曲を重視しない、俳優の身体性にこだわった舞台にせよ、それは同じだ。

三文芝居のコテコテクソリアリズム芝居、素人同然の役者や戯曲、演出の芝居ばかりをこのところ見せられているオレにとって、しばらくぶりに、芝居らしい芝居、演劇的時空に包まれて、この上ない、心地よさを感じだ。期待をまったく裏切っていない。

女優の内田の勉強と思い、奴を同伴させたのだが、たぶん、きょとん、きょとんの連続だったろう。演劇とはどういうものか、芝居、舞台とはどうあるべきなのか、その衝撃を与えたくて連れていったが、これをどう受け止めるかは、後は奴次第。

俳優はパフォーマーであり、アーチストだというオレの言葉がわかるまでには、まだまだ歳月が必要だろう。後で、REDで俳優の長部とも合流したが、話題は、「ろじ式」。

とりあえずは、人の眼につき、仕事のつながりになる人脈や出会いばかり求めていては、芝居の本道を生きることはできない。芸能界と舞台俳優、映画俳優の世界とは、本質が違う。自分の求める俳優としての姿が、まだ固まっていない分、「ろじ式」のような俳優の身体性にこだわった芝居のよさが読めないのだ。

開演前、期待しながら開幕を待っていると、東宝時代にお世話になった、演劇評論家大笹吉雄が来ている。大学の先輩。芝居が終り、声をかけ、お世話になった先生たちの近況や最近のオレの仕事など語る。
語っているうちに、結局は、二人で劇評になる。

日本の小劇場演劇史の全集も上梓している氏は、まさにオレの演劇の時間そのもの。維新派能楽や歌舞伎の身体所作や白塗りをつかった、普遍性の演出について、盛り上がる。近々に、乃木坂でのみましょうと別れる。

いい芝居の後に、その質と内容のわかる人と語れるのは、本当にいい時間だ。大笹さんも歳をとったが、相変らず、やらしい感じも残っている。

そういえば、今回のこの芝居、東京アートフェスティバルの一環。発起人、理事には、同じく演劇評論家扇田昭彦も名を連ねていた。地味な活動かもしれないが、こうした取り組みがまだ、続けられていることは賞賛に値する。

で、10時近くに、ハマの快気祝い兼、皮革製品のお手入れレクチャーに参加。イガ、K、Kのお友達、エリ、イモト、Oちゃん、最近常連化していいる博報堂系の二人、内田に、オレ、長部で、ハマの真摯なレクチャーをかなり下ネタトークでゆさぶりながら聞く。

零時を過ぎた頃、なにやら予定のあるらしいYouとエリ、イガとK、メグに追いたてられるように(爆)店を出る。電車のない、ハマ、内田、長部を連れて、久しぶりのコレドへ。

丁度、「余命いくばくの…」を監督した広木隆一の新作のインディーズ作品の上映ライブをやっていて、店は大混雑。Mさんの泣き言ブログとは大違い。

隅の方で飲んでいたら、およよ、会うのは2年ぶりくらいの某著名映画監督を祖父に持つ、Kが来ている。メールでは何度かやりとりしているが、こうして顔を合わせるのは久しぶりだから、思わず、二人でぎゅっと、ハグ。

元気そうで、相変らずで、本当によかった。基本、人見知りに、ひきこもり系でいながら、勝気なところもあるが、心根はいい奴。近所にいながら、あれこれあって、互いに会えないことも多いが、以前は週一で会っていた。さりげなく、またなと別れ、次にいつ会えるだとうと、互いが思っている。それがいい。

店を出て、電車が走るまで、ハマ、オレ、内田、長部と飲む。タップを終えた長部以外は、だれも眠らない。とりとめもない話をしながら、とりとめなく、心をつなぐ。

昨日は、大笹さんにせよ、偉大な祖父を持つKにせよ、そして、ハマたちにせよ、とりとめもない中で心をつなぐ、いい一日だった。同行できなかったが、社会学者のM氏とも「ろじ式」を見ることで、心をつないでいる。来月は、この話で盛り上がるだろう。

何のトクにも、利益にもならないところで、自分が心踊るために、人と心を結ぶ。そのたわいもないことが、人をもう少し、生きようかという気にもさせる。

人は、あたたかい…。