秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

日本国憲法

昨夜、遅い時間にベティから電話をもらう。

カリスマも来ているから、一緒に飲まないかという誘い。シャイなカリスマでなく、ベティが声かけしてくるところが、おもしろい。ベティの誘いに弱い、オレの弱点を知っている。

このところ、夜、毎晩、ウォーキングとバランスボールをやっている。メタボの騎士の内腹筋を鍛えているのだ。50歳前までは、都内を自転車で移動したり、そこそこ筋肉トレをやれば、体重も落ち、腹筋も鍛えられたが、50過ぎてからは、内腹筋の衰えのせいで、簡単に戻らなくなっている。

健康診断もあり、年末年始へ向けて、あれこれ動き回らなければならないこともありで、意図して、運動している。電話をもらったときも、運動を終え、バランスボールに乗って、汗を流そうかと思っていたところ。飲む予定の日ではなかったが、風呂に入り、顔を出す。

結局、カリスマの質疑応答形式で、昨今の政治話題で盛り上がってしまい、1時過ぎまで。

政治や社会問題の話題になると、どうしても時間を忘れる。また、カリスマの投げかけと展開が実にうまい。大方、オレの考えは予想しているのだろうが、ほかの連中も聞きたい、あるいは、ほかの連中も知っておいた方がよいということを、巧みに投げかけてくる。

カリスマは報道バラエティの司会者に向いている。ふと、そう思う。

鳩山の国連演説に始まり、公明党創価学会の問題、日米の対等な関係とは何か、八ツ場ダムの報道のあり方はいかがなものか、惨憺たる現在の日本の状況を招いたものは何か、そもそも日本国憲法とは…。

カリスマに載せられて、語る語る。あとから来た、常連コアのイモト、ヒロもそっちのけで、カリスマ相手に口角泡を飛ばしていた。ベティは終始聞き役。

しかし、最後には、ベティが「日本国憲法」をもう一度読んでみようかと思ったといっていた。それがわかれば、十分な聞き役。話の流れがわかっている。

この国は、戦後、占領軍のアメリカの民生局の理想の国づくりに燃える若い将校、学者と戦時中戦争に異議をとなえ、要職につかなった政治家たちとが、丁々発止の議論をして、憲法草案をつくり、国民投票を行った。

ネオコンは、アメリカから押し付けられた憲法で、国民の意志が反映されたものではないという詭弁を弄しているが、国民投票という総意によって、成立したのが、日本国憲法なのだ。

そこには、敗戦の中で、日本がどういう国を生きるかの理想と夢、そして希望がこめられている。

しかし、戦後日本の歴史は、これを一度も実現したことはない。基本的人権の保障も、二度と戦争に踏み出さないという決意と行動も、常に、アメリカの圧力や日本の政治家の矜持のなさで、ブレ続けてきた。

前にも書いたが、世界に誇れる日本国憲法。これを条文通りに実現できる国であれば、この国は、いまのような姿にはなっていかなっただろう。からくも、一時、日本人が夢と希望を抱けたのは、この国に、日本国憲法を根付かせようとした、右派左派に関らず、人々の努力があったからだ。

憲法は、普段、自分たちの生活には関係ないと思っている人々は多い。しかし、どのような法律も行政行動も、そして政治家も、憲法に縛られ、憲法を軸として行動、発言しなくてはいけないもの。それほどに、実は、オレたちの生活に直結したものだ。

アメリカ映画で、憲法をテーマにした、名作がある。ジム・キャリー主演の『マジェスティック』。

B級映画の脚本家の主人公がオチャラケに生きていたのが、記憶喪失になって、ある街にたどりついてから起きる、笑いと涙のストーリー。その軽薄だった主人公が、赤狩りの議会に召還される。

そのとき、彼の手にあったのは、愛する女性からもらった、アメリ憲法。彼は、自由と基本的人権を謳った条文を例にあげ、この赤狩り尋問は、自由の国、アメリカがやるべきものなのかと反論する。

第二次世界大戦で、民主主義、自由のために闘った兵士たちは、いまのこんな国にするために死んだのではない。遺族が悲しみに耐えているのは、ここアメリカが自由と民主主義を守る国であり、それを誇りに思うからだ。そのために命を落とした子どもや夫を誇りに思えるからだ…。

その場面は、実に感動的だった。

国民主権、民主主義、自由、基本的人権…。
それが侵害されたとき、人々が戦う根拠は、すべて憲法にある。
憲法通りの国家を実現する。

そこにこそ、あらゆる人々の夢と希望と、理想の実現の道がある。