秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

耳を傾ける

たまにしかいかない店だが、コレドがやばい。

店にいってなくてもコレドの状況がわかるのは、Mさんのブログ日記をたまにのぞいているから。

ただ、やばいといっても、Mさんは、もと著名シナリオライターで、まだ、現役の演劇人。どこまで本当にやばいのかは、わらからない。劇的な文章作法は、お得意の世界だからだ。

なんでも経営が悪いので、得意の演劇で金を稼ごうと考えたらしく、この間、オレも観劇した、Mさんの芝居を再演するらしい。しかも、かなり強制的な営業をかけて、コレド救済のために、常連及びその連れ関係を無理くり呼ぼうとしている様子が伺える。

得意分野で勝負しようという姿勢は正しい。しかし、コレド劇団でそれをやるのは、相当、義理人情に訴えてる感ありありなのだが…。

この間、うちの高齢の税理士さんにあれこれ経営のアドバイスをもらっているときに、昨今の景気の悪さになり、彼が担当している医者や弁護士の話になった。ま、いわば、オレのケースを喩えてのことだが。

「専門分野ではそれなりに頭もよく、能力もある人に共通なのだが、いわゆる芸術家肌の人間は、よし、いけるぞとなると、どこかで後先考えず、夢だけで突っ走ることがある。自分たちから見れば、その機械や人を導入して、実際にどれだけの対費用功果があり、どういう客がついてきてくれるのかを計算して、機械や人を導入するのだが、芸術家肌の人は、ま、思いつきというか、勢いでそうしたことをやってしまう。そして、立ち行かなくなる。医者とか弁護士とかも、いま、大変なんだぞ」

なるほど。かつてのオレの失敗をチクリチクリと指されている感じ。

「だから、お前も、新作ソフトや芝居の制作はわかるが、後先のことをよく考え、それが売れるものかどうか、見極めてからやれよ」

思わず、「それはやってますよ」といいかけたが、その「やってますよ」がいけないのだと飲み込む。まずは、人の意見に素直に頷き、改めて、自分を振り返り、そうだな、大丈夫かなと一呼吸置くことが大事だ。

それも、二十年近くこの会社をやってきて、失敗した知恵。あのとき、あの苦言を素直に聞いていれば、ということは、山ほどある。

オレの外苑の飲み屋時代からの友人で、デザイナーやっているRは、仕事の受注のために大きな機械を入れて、結局、期待した仕事が来ず、いまは、青山から撤退して、デザイナーで食っていけないからと、派遣で食いつないでいる。聞けば、昔、Redにも顔を出したことがあるという。

彼女には、彼女の考えと事情があってのことだろうが、奴の会社がやばいときに、苦しいかもしれないが、安い売り上げでも本業で生きようとしたらどうだろうと、アドバイスしたことがある。しかし、思うにいかずという結果で、いまは、必死で派遣でがんばっている。

確かに、一つの夢や形を求めて、個人で仕事をしていくというのは大変だ。それが、弁護士や医者という看板があったからといって、安全ではない。まして、本人の年齢が重なってくると、自分を使ってくれる消費者が若返り、いままでのように使ってくれなくなるということもある。

栄枯盛衰。

それを乗り越えるのは、やっぱり、ビビッドな感覚。つまりは、素直さのような気がしている。若い奴にいわれることも素直に耳を傾け、高齢のえらいさんの苦言にも素直に耳を傾け、自分自身の固定観念に固まらない、しなやかさしかない。

オレが制作した自主作品も、再演したいともくろんでいる芝居も、ある意味、オレのこだわりがそうさせているが、若い奴や他人の意見は素直に耳を傾けようと思っている。

酒豪編集者Rの指摘にも、奴は、思っていないかもしれないが、オレが素直なのは、そうした自分の限界をわかっているからだ。奴は、まだ宿題をやっていない(これは、業務連絡)。

アドバイスや意見は、徹底的に聞き、反論する前にとりあえず、やってみる。それでうまくいかないこともあるが、それは、素直に言われたことを実践する心を鍛えてもらっているのだと思えばいい。

試練は人を鍛える。そのチャンスをもらっていることがありがたい。そして、きっと、次の何かのために、その試練をもらっているのだと思えば、いまできることをとにかくやろうという気になるはずだ。

この間、不思議な書き込みにもそれがあった。どこのだれかは、知らないけれど、グッと胸に来る書き込みで、けれど、うまくいかないときに、それをうまくいかないままで終わらせない知恵が書いてあった。

Mさんは、もういい歳だから、素直にはなれないのだろうが、これをいい機会にしてくればと思う。苦言だが、あそこの店は、業界人や演劇ひよこが多すぎるのではないだろうか…。