秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

無縁の連休祭日

連休祭日とは、あまり縁がない。普段の雑用がなく、書き物にじっくり向かえる分、逆にやることは多い。

そんな生活を20代の頃から続けているから、連休祭日に人並みに混雑した高速で渋滞に巻き込まれ、観光地や歓楽地へ出かけたことは、ほとんどないのだ。出かけるときは、ほとんど平日。もしくは、連休ではない、普段の土日がいいところ。

基本、オレは人ごみが嫌いだし、行列つくって待つということができない。時間がもったいないと思ってしまう。

船が好きなのも、海原では喧騒を遠く離れることができるから。いまは、ほとんど行くこともないが、乗馬をやっていたのも、乗馬クラブ周辺は喧騒とは無縁だからだ。

連休祭日は、逆に都会の方が人が少なく、過ごし易い。乃木坂周辺はとりわけ静かになる。

そんな昨日は、朝、外苑絵画館をいつものようにウォーキングして、午後から原稿に向かう。そうこうしていると、この間、ぶつぶつ不満らしきことをいっていた、女優の内田が、夜、資料をとりにくる。

オレがよく撮影でつかう、芸能花伝舎にある芸団協の事務所から、井上ひさしの戯曲の本読みワークショップの案内がきていた。試写会のとき、内田にセリフ回しの独特のくせを直せと注意していたことを思い出し、ちょうどいい機会だから、ワークショップを受けてみてはと薦めていたのだ。3日間のレッスンで5000円は安い。

資料を渡し、申し込みをさせる。前に会ったときより、吹っ切れて見える。なんでも、がんばっている男優の長部努のブログを読んで、自分もがんばらなくてはと気持ちを切り替えたらしい。

オレの言葉は、奴には批判や否定にしか聞こえないらしいが、同じ秀嶋組の俳優仲間のがんばっている姿は素直に胸にとどくのだろう。

長部は、数年前に比べると成長した。しかし、その成長を支えているのは、奴の素直さだ。ちょい仕事が順調なときに天狗になっていたこともあったが、それを叱責しても、その言葉を素直に受け入れ、自分なりに修正をしている。

今回の役でも、あれこれオレのところに質問に来たのだが、その役の仕事がなんだかわからないという奴に、お前、それでも役者か、役者なら、自分でそうした会社に連絡して、取材し、話を聞かせてもらおうという取り組みを自発的にやらなくてはダメだと苦言をいった。

それも奴は素直に実行している。受けたアドバイスを悲観的に受け止めず、糧になるものを貰っているのだと素直に受け止めれば、すぐに行動に移せ、それが俳優という仕事がどのようなものかを理解する手立てになっていく。そればかりか、そうした取材を通して、一人のファンを増やすことにも繋がるのだ。

役作りのために、勉強させてくださいと尋ねてくる若い、まだこれからという俳優に、シンパシーを感じ、その見えない努力をしている姿に人は共感してくれる。つまりは、客の顔が見え、つながることができる。そうした経験は、いろいろな意味で俳優としての財産になる。

内田も、あれこれ迷わず、失敗を怖れず取り組もうという気にはなっているように見えた。精神的に弱いところもあるが、毎日、四六時中、芝居のことを考えるようになれれば、その弱さもいつか克服できると思う。

人が連休中、遊んだり、観光しているとき、ひたすら、自分の技量や技術を高めるために、コツコツ努力すること。それが、いつか、ああ、あのときの弛まぬ練習、努力が実を結んだのだと気づくときがある。いろいろと仕事でうまくいかない状態のときにこそ、それを忘れないことが何より大事だ。

いくら見てくれや才能があっても、そうした努力をしない俳優は、いつか消えていく。時間がかかっても、消えない俳優であるためには、そうした生き方をたゆまず、休まず、歩むしかない。

だが、それは、俳優に限ったことではない。何事かを表現し、人に伝えるという仕事は、すべからく、人が見てないところでの研鑽と、孤独な努力が必要なのだ。その見えない努力に人は、対価を惜しまない。

元女優、グラビアアイドルのKから、また直電があったが、奴は芝居を降りたことで、まだまだ混乱の中にいる。そんなKに比べたら、いま、まだステージに載っている人間は、幸せなのだ。

連休祝日のない日々は続いても、自分のいのちを真っ正直に燃やすことができれば、それだけでも幸せと言える。