秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

常識を疑え

一昨日は、酒豪編集者Rと出版打ち合わせ。

会社を興してすぐに奴は、このところ、顔を合わせたびに、疲れが見える。待ち合わせ時間をたがえるなど、あきらかに、パニック状態。いかに仕事ができ、才気に長けた奴でも、編集マンの仕事と会社の立ち上げビジネスとでは使う脳が違う。いままで使わなかった脳が、いきなりエンジン全開にされて、悲鳴を上げているのだ。

そんこんなで、最近、酒をあまり飲んでいない奴を誘い、Redへ。食事もさらさらと済ませているのだろう。今夜はがっつりいくと、ハンバーガーをほおばる。パスタをすする。それを見て、ちょい安心。何事につけ、メシが食えているいうちは、大丈夫だ。

下では、イガ、イモト、Youの古い友人のドラマーくん、ユニバーサルの音楽好き、ネーリストK、それにイモトが、イガ友人の合コンで知り合ったという、マリ?という女性が、バンド演奏で盛り上がっていた。

それをよそに、Rと出版打ち合わせの延長戦をやる。オレのジャーナリズムは好きではないという言葉に、Rは食いつく。オレのねらいや意思を、もう一度、ここで確認しておきたかったのだろう。

あれこれ語ったが、要は、「常識を疑え」ということ。

オレたち映像業界もそうだが、出版界も、その他の制作業界、押しなべてそうだが、常識を越えた奴が勝ちだ。しかし、組織にいると、これまでの常識やこれまでのルーティンワークに人は縛られる。その上、大組織になるほど、情報に溢れているようで、情報が偏っていたり、これまでの経験則から、貴重な情報を逃すこともある。権威主義がそうさせる。

そんなこんなの状態が続くと、大衆のマインドが見えなくなる。たとえば、いまの自公独裁や官僚機構。

自分たちに見えてる社会がすべてになり、その読みに間違いはないという思い込みから、自分たちの失策やシステム障害に気づけない。しかも、そのズレは少しずつ現われるから、気づいたときのは、大衆マインドに取り残されているということになる。

今の時代、企画でもなんでも、点数制で物事の尺度を計ることが、客観的視点にたどり着く有効な方法だという誤謬がまかり通っている。データや経験値を優先し、直感力を捨てる。そこに落とし穴がある。

イオニアとは、ベンチャーとは、そうした穴をみつけだし、いち早く形にできる人間たちのことだ。これまで、だれも見向きもしなかったものが、大当たりするというのは、そんなところにある。

その読みも、基本は直感力だ。大衆の、人の心を読む力だ。大衆の中にある、言葉にならない、できない思いを明確なフレーズで提示することだ。そのためには、人と多く会うこと、世界の異なる人々と語ること。そして、自分の生活の身近にある、断片を拾い、そこに新鮮な驚きと感動を感じることだ。

かつて、オレが若い頃、毛沢東が語った「常識を疑え」は、当然のフレーズだった。それを抱えた世代は、いま団塊世代となり、権威主義の権化となっている。常識を疑うどころか、話題性とマスコミ戦略で無理くり、ポピュリズムをつくりだし、ヒット商品をでっちあげる。

その団塊の強い影響に育ったいちご世代は、いま、親世代よろしく、保守反動に凝り固まっている。

社会を硬直させているのは、常識を疑わなくなった人々の増大がひとつの要因なのだ。

「人は想像することは、実現できる」。コマーシャルの一文だが、そのためには、自分を縛っている常識を疑い、自分の直感に素直に行動し、試練の中で、それを実現するしかない。

イオニアとは、奇をてらった珍しいことをやることだけではない。人々の心の奥にある欲求を掬いとり、それを形にすることでもあるのだ。