秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

バタバタした週末

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上京し、おいどんの前に立つ、ブラック・テレンスキー・Ryoko?
一見気が強いが、実は、コテコテ少女の奴は、テレがあり、アングルと写りへのこだわりが強い。かつ八分の一ロシアの血、これまでのやんちゃ。すべてあわせると、こういう名前になる?とネタにする。

大阪から戻った夜、RyokoとRedで落ち合う。奴め、日頃のささやかな御礼と、ママから送ってきたという「しょうがジャム」をくれた。そこへ、疲れた顔のハマ、ネーリストのKさんが現われ、テポドン2号で毒舌攻撃をするRyokoをネタに、わいわい、4人で盛り上がる。

そこに、これも疲れ切ったような、何やら思うところありげな、突然の女、ベティがひとり現われ、カウンターでしんみり。一人でいたそうなので、ちょい声をかけ、そっとしておく。いいところに、西船橋のマチルダ?、お前、だれ?と、いいたくなる、よくわからん仇名の古い常連女性が登場。遅れて、うっかりのトモ。いい感じで、ベティも乗ってきたところで、下ネタ爆裂。

帰りにコレドにいったときは、大阪の疲れもあり、もうベロベロだった。珍しくカウンターが混み、よう知らん若い衆であふれている。うーん…。と思っていたら、ついさっき、マエストロのSさんが帰ったという。残念。「これはコレドじゃない」そういったというSさんの言葉。確かに。

やや酒の残る日曜は、美術や写真、美術評論をニュージーで勉強していたRyokoが教えてくれた、国立西洋美術館の「ルーブル展」へ行く。いってびっくり。2時間待ち。そういえば、昔、ゴッホ展を見たときもすごい待ち時間だったことを思い出す。仕事以外で海外へ行くことのないオレは、ここでルーブルが見れるならと、炎天下の中、Ryokoと並ぶ。

西洋美術館は、政府から贈られた、印象派絵画やロダンの彫刻を中心とした、松方コレクションを常設展示施設として、昭和34年に開館したもの。だから、やたら狭い。やたら天井が低い。国立新美術館を知っている人間には、圧迫感がありすぎ。入場規制をしないと人であふれるから2時間待ちなんて、バカなことになる。いい加減建てかえればいいものを。ま、そのスペースがないから、新美術館ということになったのだろうが。

などと、ぶつぶついいながら、なんとか耐えて、みる。だが、あれれ。レンブランドがもっとあるかと思いきや、1点だけ。著名な伝統的古典作品も数点。フェルメールが1点だけ。その他は、それほど興味ある作品ではない。2時間並び、40分程度で見終わった。

古典絵画は、当時の絵画や宗教世界の中で、常識的な隠喩として使われていた記号(雲、荒地、山、川、森、絹、模様、アクセサリーなどの点描に込められた独特の意味)が読み取れないと描かれている絵画の奥行きが見えない。キャプションにそうした解説がないから、美術の知識や情報がない人間が、ただ見ただけでは、なかなかその深い意味が理解できない。

しかし、作品にふれるだけでも、それはそれで、自分の感性を磨くことになるから、それはそれでいいのだが。

立ちッパで膝が笑い、タバコも吸えず、喉が渇きで、昨夜RyokoがRedに忘れていった携帯をYouが預かっているというので、Youとお手伝いのEが昼の出店で手伝いにいっている焼鳥Yoshiで、受け取るついでに、ビールと焼鳥をと思っていたら、ラグビー招待試合の客で混んでいっぱい。じゃ、Youたちと合流して、どこかで飲もうかと思ったら、Youもこの数日昼は出店、夜はRedでくたくた状態。

携帯を届けてくれたEと青山1丁目のカフェ246で落ち合い、Eへの御礼と慰労をかねて、魚河岸一番改め、「ごっつぉう」で、刺身をつまみながら飲む。行きがけ、交差点で20キロジョギング途中のヒロとばったり会い、誘うが、奴め、連絡もなく、顔も出さない。次回、正座。

さすがに2時間炎天下にいたRyokoもオレもつかれていたのか、わずかな酒で酔いも回り、疲れが出る。YoへのおみやをEに持たせ、みんなと別れた。汗を流し、さすがに昨夜は爆眠。

本の企画がちょい暗礁に乗り上げ、来週は大阪撮影の編集作業。書きかけの小説、映画台本もちょい止まっている。来期制作の啓発教育作品の企画書もあり、いつもは比較的暇なこの時期、微妙に忙しい。ただ、入梅したというのに、空気が乾燥し、湿度が低く、オレの50肩の調子がたいぶいい。

前途は多難だし、試練も多いが、未来を疑わない、いつものオレの大いなる予感が心に広がっている。こういう予感があるときは、なぜか何事もうまくいく。実は、仕事や物書きのことで頭がいっぱいなのだが、それを脳の隅で考えながら、ワクワクしているときは、なぜか体調がよくなる。