秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

FOR THE ONE PROJECT

一昨日、昨日と大阪で撮影。ブログの更新を一日お休みした。

広告関係の仕事とはもう10年以上前に縁を切っているが、古い付き合いの連中から、困ったときの何とかで、予算や時間もなく、付き合い先も格段なく、といったときに、いまでも、プランニングやコピーの仕事を頼まれる。映像は得意ではないデザイン事務所の同年代社長から、いわゆるVP(販促物映像)などの話が舞い込んだりする。

未知の人間や縁のない人間なら受けないのだが、オレが心地よいと思う人からの依頼なら、内容にかかわらず、引き受ける。久しぶりのそれが、大阪での仕事。

「安かろう、悪かろうが、一番いけない」。制作会社でサラリーマンをしていたとき、そこのT社長に叩き込まれた。予算がない、時間がない、段取りがうまくいってない。つまり、あれこれ面倒くさいからといって、手を抜き、予算がないからだの、あれこれ不満をこぼし、これくらいのところでいいだろう。そんな気持ちで仕事をするな。と、教えられたのだ。

人は心に添う仕事や好きなことには、素直に夢中になれ、そこで起こるさまざまなトラブルにも寛容になれるのだが、いったん、意に添わない、やりたくないと心で思ってしまうと、こんな仕事だからと不備不満の心でいっぱいになり、偏狭になり、ささいなことに怒ったり、イラついたりする。

仕事と出会えてありがたい、仕事を通して、いろいろな人と出会えてありがたい。そんな気持ちがなければ、周囲の人もいい気分で仕事はできなし、本当はオレの仕事はこんなことじゃない、などと仕事をバカにすれば、それを本気でやっている人に失礼極まりないし、手ひどい仕打ちをうける。

なんにせよ、どのような仕事にせよ、仕事と名がつくからには、それで生業を得ている人たちがいる。生業をえるからには、何がしかの思いで、こちらに仕事を頼んできている。自分とそりの合わないと思える人でも、その心根を知れば、その思いに応えてあげようとするのが、人というものだ。人の義と情というのもだ。それが、思わぬ縁や信頼関係を築くことだってある。

この間の東映の仕事をやっているとき、もう何年もの付き合いになるプロデューサーのCさんが、ふと、うちの会社の名前の由来を尋ねてきた。「FOR THE ONE PROJECTって、どういう意味ですか?」。そういえば、長い付き合いになるが、そんな話をしたことがなかった。

10年以上前、法人化するとき、ちょうどあるリーフレットをつくっていて、そこにこんなコピーを書いた。

だれかのために、何かのために、いま自分にできることは何か
だれかのために、何かのために、いま自分にやれることは何か
それを自らに問い続け、そのひとつのために、ひとりマウンドに立ち
万感の思いを込めて、内角、ストレートを投げ続けるピッチャーでありたい…

このコピーのヘッドがFOR THE ONE。それをそのまま会社名にした。

人にはそれぞれの思いがある。願いがある。そのたったひとつの大切なもののために、全力を尽くす。
そのための運動体という意味で、PROJECT。つまり、利他に徹底する人々の運動集団という意味だ。

それともう一つは、日本人にはわかりにくいが、英語で、THE ONEとは、神を指す。映画『マトリックス』を見た人はわかるだろうが、キアヌ・リーブス演じる主人公は、人々から、ザ・ワンと呼ばれる。それは、救世主キリストを意味している。ジ、ではなく、だから、指定名詞のザになる。欧米人に名刺を見せると、信仰心の篤い連中は、キリスト教徒にせよ、ユダヤ教徒にせよ、表情が一瞬にして、こちらへの敬意と尊敬に変る。つまり、神のための運動体という意味にもとれるからだ。

オレは、ブッティストでキリスト教徒ではないが、目に見ない未知なる力、人知では及ばない何かの力を信じる点では同じ。その意味では、その解釈も正しい。

プロデューサーのCさんとは、いろいろ言い合いもし、年下ということもあって、オレのわがままをぶつけたことも、彼の不遜な言葉に傷ついたこともある。しかし、やはり、オレにとっては貴重な出会いだったと思う。よくしてもらっているとも思う。

それも、ぶつかりあって、オレのような奴をそのまま投げ出さないでいてくれた、Cさんのやさしさのおかげなのだ。そんなことに目覚めたり、気づいたりできるのも、仕事を投げ出さない人間同士だからできたことなのだ。

道は遠く険しくとも、投げ出さない、あきらめない気持ちがあれば、きっと人は何かを実現できる。そのためには、人間同士が互いに互いを投げ出さない、やさしさと人とつながろうとする根気を忘れないことなのだ。