ほんとの美しさ
うちの庭 ではなく マンション前の垣根のつつじ
毎年 この季節になると 左右一通の道路の安全帯になっている マンション前の道路に
つつじの群生が 花を咲かせる
オレの住む乃木坂は 実は 四季の移ろいを感じられる花木が豊富だ
それらを見るたびに ここに住めていて ほんとに しあわせだなと 実感する
ほんとに美しいものは ほんとに 人の心をなごませ 豊かにしていれるのだなと
季節季節の花木の移ろいを 目にするたびに 思う
オレの知り合いで 日本NGOグループのJENの事務局長で 日経ウーマン大賞を受賞したKさんがいる
NPOの世界では よく知られた女性だ
旧ユーゴ紛争中 クロアチアで現地の支援活動をやっていることを知り
帰国後 オレの教育シンポやイラク戦争反戦の集いなどで 日本ボランティアセンターや
シャンティボランティア会 JHP学校をつくる会などと 一緒に尽力してもらった
国内外の自然災害や紛争地 被災地を飛び回り
高齢者や女性 子どもたちの支援活動に奔走している彼女とは ほんとに会う機会がないのだが
せめてもと Kさんと親しいことから JENの活動支援のため 個人的にカンパを続けている
金額はビビたるものなのだが いつもその度に 御礼の一筆を添えて
活動資料や報告書を送ってくれる
いまは スーダンへ支援視察にいっているらしいが
帰国したら久しぶりに会いたいと手紙をいただいた
自分の生きるミッション それを他者のための活動に見出している女性は 美しい
今日 いつものボランティアの勉強会に参加してきたのだが
2年間の勉強会に参加する仲間のひとりに 70歳を過ぎた 高齢のMさんがいる
大船の方から わざわざ 港区の芝まで 足を運ばれていること自体 敬服の極みなのだが
年金生活で経済的なこともあり バスを乗り継ぎ 普通なら1時間ほどで 来れる距離を
その倍の2時間近くかけて 来られている
普通なら 面倒で 時間もかかり そのこと自体に不満や不平があっても おかしくないのに
Mさんは その移動途中で出会う 見ず知らずの同じ高齢者の方とふれあうのを楽しみ
途中のバス停や駅のトイレが汚れていると それを片付けながら 来ているのだ
すると いつも会う高齢者の夫婦と親しくなり また ゴミを片付けていると それを
手伝ってくれる高校生に出会ったりする
そのことが 楽しいとおっしゃる
オレなどは 自転車で20分ほどのところだから 何の苦もないのに その心のあり様に
やはり 美しい人だなと 思う
戦争中の強制疎開で栃木で中学を卒業したものの 芝にあった土地は 終戦の混乱で人にとられ
父親も早くになくしていたので お手伝いさんとして働き 家族と一緒に暮したことが
ほとんどないMさん
しかし それだけに家族への思いが深く 息子さんにあれやこれやと幼い頃から 指図をし
それが いまでは 成人し 家庭を持つ息子さんとの心の隔絶を 生んでしまったらしい
それを修復するために どうしたらと 悩んだ末に 少しでも他人のために できることを
やることで 自分の心の これまでのあり様を見つめなおそうと 決心されたのだという
そういう話を聞くと 本当に頭が下がる
少し前には 同じ高齢のMOさんという男性の方が 退職後再就職した眼鏡の製造会社が
この不況で リストラをやらなくてはならなくなり 自分はもう高齢だからと
若い人をリストラさせないために 自ら手を挙げて リストラを志願したという
自分のいい作品を残したいと そればかりしか考えていない オレなど ほんとうに
そこまで他者のために 自分を犠牲にできるのかと 反省もさせられ また 頭が下がる
かつて この国 この社会の中心には そうした心根を持つ人々がたくさんいた
それが この国の経済を支えてきたし 世界に冠たる治安のいい社会を形成していた
そうした 生き方の流儀が いまは あまりに軽んじられている
まるで 高齢者は邪魔者のような制度や政治がまかり通っている
他者のために生きることの美しさが ないがしろにされている
自分のことで手がいっぱい 自分の暮らしをまともにしたい
いまの楽しみは捨てたくない
その思いは否定しない それが人間だ
しかし 何かで 心がくじけそうなときは そういうほんとに美しい人
美しい心と出会える自分になろうと 努力してみるのも 悪くない
それは きっと くじけそうな自分の心に ヒントをくれる
自分の心を どこかで支えてくれる
毎年 この季節になると 左右一通の道路の安全帯になっている マンション前の道路に
つつじの群生が 花を咲かせる
オレの住む乃木坂は 実は 四季の移ろいを感じられる花木が豊富だ
それらを見るたびに ここに住めていて ほんとに しあわせだなと 実感する
ほんとに美しいものは ほんとに 人の心をなごませ 豊かにしていれるのだなと
季節季節の花木の移ろいを 目にするたびに 思う
オレの知り合いで 日本NGOグループのJENの事務局長で 日経ウーマン大賞を受賞したKさんがいる
NPOの世界では よく知られた女性だ
旧ユーゴ紛争中 クロアチアで現地の支援活動をやっていることを知り
帰国後 オレの教育シンポやイラク戦争反戦の集いなどで 日本ボランティアセンターや
シャンティボランティア会 JHP学校をつくる会などと 一緒に尽力してもらった
国内外の自然災害や紛争地 被災地を飛び回り
高齢者や女性 子どもたちの支援活動に奔走している彼女とは ほんとに会う機会がないのだが
せめてもと Kさんと親しいことから JENの活動支援のため 個人的にカンパを続けている
金額はビビたるものなのだが いつもその度に 御礼の一筆を添えて
活動資料や報告書を送ってくれる
いまは スーダンへ支援視察にいっているらしいが
帰国したら久しぶりに会いたいと手紙をいただいた
自分の生きるミッション それを他者のための活動に見出している女性は 美しい
今日 いつものボランティアの勉強会に参加してきたのだが
2年間の勉強会に参加する仲間のひとりに 70歳を過ぎた 高齢のMさんがいる
大船の方から わざわざ 港区の芝まで 足を運ばれていること自体 敬服の極みなのだが
年金生活で経済的なこともあり バスを乗り継ぎ 普通なら1時間ほどで 来れる距離を
その倍の2時間近くかけて 来られている
普通なら 面倒で 時間もかかり そのこと自体に不満や不平があっても おかしくないのに
Mさんは その移動途中で出会う 見ず知らずの同じ高齢者の方とふれあうのを楽しみ
途中のバス停や駅のトイレが汚れていると それを片付けながら 来ているのだ
すると いつも会う高齢者の夫婦と親しくなり また ゴミを片付けていると それを
手伝ってくれる高校生に出会ったりする
そのことが 楽しいとおっしゃる
オレなどは 自転車で20分ほどのところだから 何の苦もないのに その心のあり様に
やはり 美しい人だなと 思う
戦争中の強制疎開で栃木で中学を卒業したものの 芝にあった土地は 終戦の混乱で人にとられ
父親も早くになくしていたので お手伝いさんとして働き 家族と一緒に暮したことが
ほとんどないMさん
しかし それだけに家族への思いが深く 息子さんにあれやこれやと幼い頃から 指図をし
それが いまでは 成人し 家庭を持つ息子さんとの心の隔絶を 生んでしまったらしい
それを修復するために どうしたらと 悩んだ末に 少しでも他人のために できることを
やることで 自分の心の これまでのあり様を見つめなおそうと 決心されたのだという
そういう話を聞くと 本当に頭が下がる
少し前には 同じ高齢のMOさんという男性の方が 退職後再就職した眼鏡の製造会社が
この不況で リストラをやらなくてはならなくなり 自分はもう高齢だからと
若い人をリストラさせないために 自ら手を挙げて リストラを志願したという
自分のいい作品を残したいと そればかりしか考えていない オレなど ほんとうに
そこまで他者のために 自分を犠牲にできるのかと 反省もさせられ また 頭が下がる
かつて この国 この社会の中心には そうした心根を持つ人々がたくさんいた
それが この国の経済を支えてきたし 世界に冠たる治安のいい社会を形成していた
そうした 生き方の流儀が いまは あまりに軽んじられている
まるで 高齢者は邪魔者のような制度や政治がまかり通っている
他者のために生きることの美しさが ないがしろにされている
自分のことで手がいっぱい 自分の暮らしをまともにしたい
いまの楽しみは捨てたくない
その思いは否定しない それが人間だ
しかし 何かで 心がくじけそうなときは そういうほんとに美しい人
美しい心と出会える自分になろうと 努力してみるのも 悪くない
それは きっと くじけそうな自分の心に ヒントをくれる
自分の心を どこかで支えてくれる