秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

Mさんのこと

昨日は夕刻、青山葬儀場近くに隣接する港区の斎場へ。西麻布に住む高齢のMさんの通夜。享年76歳だった。

3年ほど前に、がんを患い、手術もできない状態といわれていたが、最先端の薬物療法が体質に合ったらしく、副作用はあったものの、今年の2月くらいまでは、大好きな日舞を踊れるほど健在だった。
 
Mさんと出会ったのは、10年ほど前。ある港区の勉強会でだった。初めて会ったMさんが、チームミーティグの中で、こんな話をされた。
 
退職後再就職で勤めている会社の景気が悪くなり、社員のリストラをやることになった。友人でもある会社の経営者に、そのとき、Mさんはこう申し出た。
 
「自分より若い人はリストラしないでもらいたい。リストラするなら、私を先に解雇してほしい」
 
自分が辞めることで、自分より年下で生活のかかっているだれかを残してほしかったのだ。友人である経営者からは自分にそれを言い出せないだろう。だったら、自分から口火を切ろう…そう思ったという。
 
仕事のやりがいや生きがい、もちろん収入においても、それがなくなることは、Mさんだってつらかったに違いない。だが、それよりも、いま家族を支え、生活を支えて生きていかなければならない、だれかのために、自分を犠牲にしようとした。
 
私は、その話を聞いたとき、涙が溢れそうになった。サラリーマンの悲哀を知るからこそできたことだが、心で思えても、それを実際に行動にするには決意がいる。

闘病中、入退院を繰り返しながら、たまに、勉強会に顔を出すと、入院先の同室の人たちとのふれあいを話してくれた。
 
長い闘病生活の中で、気持ちが暗くなる。複数いる病室ではその空気が重い。中には、だれとも口を聴かない人がいる。その人にMさんは、自分から声をかけ、次第にその方のさびしい思いやつらい思いを聞かせてもらえるようになった。
 
そうしていると、次第に病室の人たちが互いに話を交わすようになり、病室全体が明るくなっていったという。残念ながら、Mさんが声をかけて、心を開いてくれた方は、先に逝った。だが、亡くなる前、残された時間の中で、だれかと心の奥を共有できたことはしあわせだったに違いない。

世の中には、人知れず咲く、こうした人生の花を持つ人がいる。決して、多くの人にほめたたえられたり、マスコミの話題になるようなものではない。
 
だが、その人がいてくれたおかげで、その場や地域、人の輪が明るいものになり、その人がいた結果として、いままで知り合わなかった人同士が深くつながる…ということがある。
 
名も知れず咲く、小さな花…。それがたくさんある世の中、地域や社会はきっとすてきなのだ。Mさんのような自己犠牲を大仰にでもなく、そっと静かにできる人はそう多くはない。

Mさんがそれまでどういう生き方をしてきたかは知らない。だが、人生の終わる時期に、人やだれかのために、ささやかでも何かができる人だったに違いない。

傲慢になりがちなとき、不満を持ちたくなるとき、私はこれからもMさんのことを思い出します。
 
おつかれさまでした。ありがとうございました。