秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

苦境のときに人を思う

午前中、ブッティスとの集いに参加。
 
そこで、知り合いの高齢者、Mさんががんで入院治療をしていたことを知った。肺、前立腺、腎臓と転移があり、余命も宣告されていたらしいのだ。
 
知り合って間もないころ、Mさんの人柄に感動したことがある。
 
Mさんは、停年退職後、メガネの製造メーカーに再就職して働いていた。ところが、長引く不況の中、リーマンショックなどもあり、会社が人員整理をすることになる。Mさんは高齢だったが、会社の管理職と長い付き合いということもあり、すぐにリストラの対象にはなっていなかったらしい。
 
だが、これからの生活があるまだ自分より若い人が次々にリストラ対象になっていく状況に、心を痛めた。そして、ある日、友人でもある担当の管理職に、こういったのだ。
 
「友人でもあるから、自分にリストラとは言いにくいのだろうが、自分はもう高齢だ。若い人には、まだこれからの生活もある。もし、自分がリストラされることで、ひとりでも若い社員が残れるなら、そうしてくれないか…」。
 
高齢のMさんに、それからの再就職はきっと厳しいことはわかっている。また、友人の管理職が自分にリストラを宣告する辛さもわかっている。それでも、Mさんは、自ら、リストラしてくれと手を挙げた。
 
Mさんの生活がどういう状況かは知らない。しかし、やはり高齢の奥さんも仕事をしている。決して、悠々自適とはいかなかったのではないかと思う。それでも、若い人に…と我執を捨てて道を譲る、Mさんの言葉に、涙が思わず溢れた。
 
人間、自分が苦境にあるとき、人のことを思うことほど、難しいことはない。だれもが、自分がかわいいし、それが生活のこととなれば、なお、執着心から人を押しのけてしまうのが普通だ。
 
人を押しのけざるえないつらさや斬鬼の思いはあったとしても、自らを犠牲にすることはなかなかできるものではないと思う。
 
Mさんは入院して、大部屋に入ったとき、重篤な患者さんばかりの病室で、みんなが意気消沈し、カーテンも閉めたままの部屋にじっといる姿を見た。
 
そして、「せっかく天気がいいのだから、カーテンを開けて、日の光を感じようよ」と、声をかけた。それから、残された時間をせいっぱい生きようと決めた自分の思いを同室の患者さんたちに伝え、決して悲観しなかった。
 
いつか病室は、それまでとは違う空気になっていた…。
 
いのちを限られるという苦しみの中で、自分の病気を受け入れ、残された一日一日を大切にしよう。自分に降りかかる困難、きわめてつらい現実の中で、そう思い、また、そういう行動のできるMさんをすごいと思った。
 
どんなに自分が痛みや悲しみを受けても、笑顔と他人へのやさしさを忘れない。それは、簡単なことのようで、とても難しいことだ。
 
Mさんの姿に、人と競い、人を受け入れない自分の弱さを教えられたような気持ちになり、恥ずかしくなった。
 
オレは人権啓発の講演などで、よく話す。人は平時にあって、他者への思いやりややさしさに心をくだくことは容易だ。だが、苦難や苦境、不満の中にあるとき、他者のことを思うのは容易ではない。
 
苦境にあってこそ、自分を振り返り、それも自分を高めてくれる機会をもらっていると感謝でき、他者を思う。それができなければ、本当の意味で人のことを思うことにはならないのだ。
 
それを教えられた、Mさんの姿。