秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

国民はどう判断するのだろう

大坂市長橋下氏を中心とした維新の会が新しい政治集団を結成する動きが加速している。
 
第三極…。民主への期待感が裏切られ、かといって、自民党に大きな期待を寄せられない。その間隙を縫って、いくつかの新党が誕生した。その中で、党として躍進したのは、みんなの党。だが、政権交代を導き出すほどの力強さはない。悶々としていたところに、大阪府知事の橋下や宮崎県知事の東国原などが登場し、地方からの声が政権を動かすのではないかという期待が生まれた。
 
既成政党の限界を打ち破り、この国の未来を希望あるものにする…。しかし、そこに結集しようとするのは、自民、民主の政治家であり、なんらかの形で既成政党を生きた経験やその周辺で政治活動をしてきた人間ばかりだ。既成政党の限界を打ち破るといいながら、既成政党に関わってきた連中が集まっている。不思議な話だ。
 
基本、オレは、維新の会という言葉が好きではない。明治維新を意識しているのだろうが、あれは、単に、徳川政権と薩長土肥各藩連合との武士を中心とした政権交代劇に過ぎない。あれを市民革命と呼んだら、世界から笑われる。国民不在の中で、世の中が変わった。それが維新だ。そこには、薩長土肥の利権も絡み、後に、明治政府は汚職にまみれている。その後、太平洋戦争での敗戦まで、維新を発端とした政府のしくじりは枚挙にいとまがない。
 
どうやら、この維新の会というのは、歴史認識がいい加減らしく、明治維新政権交代劇を新しい国政の誕生とイメージしているらしい。政策草案を「船中八策」と呼び、当時、龍馬が新しい国づくりに提言したと同じように、現在の政治に物申すというスタイルをといっている。これには、思わず、笑ってしまった。
 
新しい国づくりや新しいビジョンというのなら、なぜ、維新という言葉や船中八策などという過去の言葉を持ち出し、その動向と自分たちを重ねようとするのだろう。全然、新しくねぇじゃないか…。まともな若いやつながらそう思う。

そもそも、橋下を含め、新党ブームをつくろうとしている人々の多くは、小泉的な新自由主義の理念が強い。集まっている大物政治家といわれる顔ぶれをみると顕著だ。世界的には、限界に来ているリベラリズム信奉者ばかりで、新しい時代の道が拓けると思っている。
 
確かに、いまの政治は脆弱だ。しかし、そうしたときに、極端なリベラリズムは、まちがいなくファシズムに変貌する。当人たちは、そんな愚かなことはしないし、考えもない…というだろうし、きっとそうだろうと思う。だが、リベラリズムは威勢を借りたときから、当事者たちの想像を超える、極論へ走り出す。維新云々ではなく、そうした歴史こそ学んでもらたいものだ。

橋下氏の孤軍奮闘、氏が考える新しい国づくり構想を全面的に否定しているのではない。しかし、地方の温度差や地域差、人々の生活意識や実感…といったのものがそこではないがしろにされている。地方行政ではきちんと補完してきたと氏はいうが、国政において、それができる保証はどこにもない。
 
現実に船中八策なる草案は、その危険性を伝えている。
 
いま本当に求められているのは、維新などという生ぬるいものではない。中央政治そのものが必要のない時代がきているということなのだ。あらゆる既存政治家が社会的に意味をなさないほどの落ち目にあるということなのだ。
 
さてさて。このドラマ、国民はどう判断するのだろう。その意味で、橋下氏をはじめとする集団は、国民に市民とはなんぞや…公民権とはなんぞや…という基本的な問いを投げかけてくれている。その功績は大きい。