秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

中村明室長の死を悼む

今朝、突然の訃報が飛び込んできた。
 
お世話になっている東映㈱教育映像部業務室長の中村明さんの死だ。
 
業務室長という責任あるポジションで、教育映像部の裏方として企画制作部門を支えていた方。もともと教育映像部にいて、別の部署に移動し、確か3年ほど前、古巣の教育映像部に戻ってきた。
 
穏やかな雰囲気の方で、個人的なお付き合いも、言葉を交わすこともほとんどなかったが、うちの会社の自主制作作品の販売業務の伝票処理をしていただいている部署の責任者。東映に行くと、いつも目を合わせて、軽く会釈してくれる方だった。
 
メールをくれたのは、いつもお世話になっているKプロデューサー。オフィスに電話を入れると、同じ部署に所属し、企画制作プロデューサーを兼務しているMプロデューサーが電話に出てくれた。
 
長野の上田市で執り行われる、14日・15日の通夜・葬儀告別式の会場を教えてもらい、弔電と花を贈る。
 
先週の土曜日、ジョギング中に倒れ、心臓の疾患で急逝された。年齢は、オレと同じ56歳。学年は一つ下だった。
 
妻子はなく、一人暮しだったらしい。だが、故郷上田の父上、兄上などご家族は、突然の訃報に、さぞかし驚かれたことだろうし、あまりに若すぎる死はすぐに受け止められないに違いない。
 
Mプロデューサーが、中村さんの死を悼むオレのメールに、返信をくれた。映画が好きで東映に入社した方らしく、毎年50本以上の映画を観て、折りにふれ映画談義をしてくれていたらしい。
 
「穏やかな方でしたが、尊敬できる上司でした…」。その言葉に、Mさんばかりでなく、教育映像部の方々の戸惑いと悔しさが滲んでいた。
 
わずか10人ほどの部署の中で、突然、一人の方が亡くなるというショックは計り知れない。まして、体調が悪いとか、持病があるとかではなく、突然死…。やり切れない思いだろうと思う。
 
オレもショックだった。人の良さそうな表情とあまり個人感情を表に出さない雰囲気は、いつも心に残っていた。最後に言葉を交わしたのは、山口県の人権課が購入したうちの作品のガイダンス原稿の校正確認のときだった。電話口での業務的な会話だったが、それが最後になった。
 
業務室長という直接映画制作に関らない仕事をやりながら、それでも映画を観続けていた中村室長の夢は、やはり、映画制作ではなかったのだろうかと思う。
 
寡黙に仕事をこなしながら、その中にあった映画への情熱や夢を語る機会もなく、他界されてしまった。
 
同じ時代、同じ世界を生きた人間として、その無念さが心に迫る。
 
いつか室長に観てもられえる映画をきっとつくります。
 
ご冥福をお祈りします。