不思議体験 其の三
小学校の高学年のときのことです。
小学校4年生のときに地方都市からある田舎の町に転向しました。転校生の悲哀を、私は、そのとき、い
ろいろな形で体験しました。孤独な転校生を救ってくれたのは、数人の地元の子と同じ転校生仲間でし
た。3年間そこに暮らし、私は転向した小学校の卒業生なのですが、もうずいぶん長い間、自分がその小
学校の卒業生だったことさえ忘れていました。
それほど、その学校への思いはなかったのです。しかし、数年前、宗教の話やひきこもり問題、青少年の
思春期問題などの講演を頼まれ、数箇所講演に周り、私が卒業した小学校からそう遠くない場所が最後の
講演地だったのです。私は、ふと自分が小学校高学年を過ごした場所をなぜが見たいという気になりまし
た。そして、そう思い付いた瞬間、地元の子どもたちとどこかで馴染めず、いつも一緒にいた数人の転校
生のことを思い出したのです。蘇ったのは、学校の思い出ではなく、彼らのことでした。
ありがちな話ですが、地方に来る都会からの転校生というのは、押しなべて勉強ができます。私はそうで
はありませんでしたが、転向して、あまりに勉強ができないことを心配した担任とその話を聞いた母親に
強制的に担任がやっている私塾に通わされ、その学校で急激に成績がよくなったのです。しかし、不思議
なことに、転向当初、成績のふるわなかった私の記憶より、私の成績がよくなってからの記憶しかクラス
メートにはなかったのです。たぶん、最初は記憶があったのでしょう。しかし、わずかの間に成績が上が
ったせいで、クラスメートから過去の記憶が消されていったのです。
もし、私の成績がふるわなかったら、私は私の後から次々にその小学校にやってきた他の転校生とも仲良
くなれず、きっともっと居場所を失くしていたかもしれません。なぜなら、仲間は本当に勉強好きで、互
いの不得意科目を克服するために、得意科目を教え合うほどの熱心さだったのです。しかも、それは、親
や教師からそうしろと言われたのではなく、成績を上げることをひとつのゲームのように楽しんでいたと
いった類のものでした。
そんなある日のことです。
私は、K君と何かの用事で、雑貨屋に立ち寄り、小さな町の中心部から少し山の方を上った道を歩いてい
ました。中心部に差し掛かると、丁度、Y君が自分の家のある団地へ向かい歩いてきます。そして、Y君
が言うのです。「あれ、秀嶋くん、何してるの?」。私は最初、K君と私がどこに行っていたのかを尋ね
られているのだろうと思い、「うん。○○の用でね」と答えたのです。するとY君は、一瞬、怪訝な顔に
なりましたが、すぐにいつもの笑顔になると、「また、冗談言って」と笑うのです。今度は一緒にいたK
君が怪訝そうな顔になりました。「何いってるんだ。本当に秀嶋君とぼくは○○の用事で行ってたんだ
よ」K君は真顔でした。しかし、そんなことは聞いてないというように、Y君は「だって、ついさっき、
秀嶋くんはI君と本屋さんにいたじゃないか」と言うのです。
しばらく、そうだ、そうじゃないと押し問答しているうちに、私たちは不思議な気分になってきました。
Y君は間違いなく、本屋さんでI君と一緒にいたのは私だと言い張るのです。「嘘だと思うなら、I君に
聞いてみろよ」。最後には怒り出します。しかし、K君が言うように、私は学校を終えて、家に戻り、K
君を誘って、山の方にある雑貨屋に行っていたのです。「どういうことなんだろう…」。私たちは凍てつ
いてしまいました。
私は勉強はできなかったのに、父親が買ってくれる小学館の本を愛読していました。小学何年生シリーズ
というものです。それには当時、漫画とは別に、読み切りの短編が必ず掲載されていて、それがおもしろ
くて熱中していました。以前読んだその話の一つに、同時間に同じ人間が別の場所にいるという現象があ
るという話があったのを思い出したのです。そのときは、ドッペンゲルガー現象という言葉は知りません
でした。でも、その短編にあったその奇怪な話は強く心に残っていたのです。
そして、事実、翌日、K君がI君に「昨日、秀嶋くんと本屋に行った?」と尋ねると、I君はさも当然と
いうように、「うん」と返事をしたのです。どうして?と聞き返すこともなく…。
実は、幼児期から小学校低学年、そして、そのときまで、私は、始終、デジャブを体験していました。生
前の記憶か予知能力と言われるフラッシュバック現象です。初めていった場所、初めて会った人なのに、
以前から、その場所や人を知っていたような記憶がある、あるいは、物凄く懐かしいと思うことが頻繁に
あったのです。前日の夜に夢に見た風景が翌日か遅くとも数日後に、現実となって現れるということもあ
りました。それは特質したことではなく、ごくありふれた日常の一コマとして現実になるのです。
友だちとちょっと歩いて出くわした風景、母親が言う言葉、そういった中にデジャブがあったのです。
講演地からその転向した町へ向かう途中、自分からデジャブがなくなかったのはいつだったか思い出そう
とし、思い出したのはあのときのドッペンゲルガーだったのです。
あの町には人の記憶や時間軸をズラす何かの力があるのだろうか。それを確かめるために、その町を舞台
にした映画の台本を考えています。
小学校4年生のときに地方都市からある田舎の町に転向しました。転校生の悲哀を、私は、そのとき、い
ろいろな形で体験しました。孤独な転校生を救ってくれたのは、数人の地元の子と同じ転校生仲間でし
た。3年間そこに暮らし、私は転向した小学校の卒業生なのですが、もうずいぶん長い間、自分がその小
学校の卒業生だったことさえ忘れていました。
それほど、その学校への思いはなかったのです。しかし、数年前、宗教の話やひきこもり問題、青少年の
思春期問題などの講演を頼まれ、数箇所講演に周り、私が卒業した小学校からそう遠くない場所が最後の
講演地だったのです。私は、ふと自分が小学校高学年を過ごした場所をなぜが見たいという気になりまし
た。そして、そう思い付いた瞬間、地元の子どもたちとどこかで馴染めず、いつも一緒にいた数人の転校
生のことを思い出したのです。蘇ったのは、学校の思い出ではなく、彼らのことでした。
ありがちな話ですが、地方に来る都会からの転校生というのは、押しなべて勉強ができます。私はそうで
はありませんでしたが、転向して、あまりに勉強ができないことを心配した担任とその話を聞いた母親に
強制的に担任がやっている私塾に通わされ、その学校で急激に成績がよくなったのです。しかし、不思議
なことに、転向当初、成績のふるわなかった私の記憶より、私の成績がよくなってからの記憶しかクラス
メートにはなかったのです。たぶん、最初は記憶があったのでしょう。しかし、わずかの間に成績が上が
ったせいで、クラスメートから過去の記憶が消されていったのです。
もし、私の成績がふるわなかったら、私は私の後から次々にその小学校にやってきた他の転校生とも仲良
くなれず、きっともっと居場所を失くしていたかもしれません。なぜなら、仲間は本当に勉強好きで、互
いの不得意科目を克服するために、得意科目を教え合うほどの熱心さだったのです。しかも、それは、親
や教師からそうしろと言われたのではなく、成績を上げることをひとつのゲームのように楽しんでいたと
いった類のものでした。
そんなある日のことです。
私は、K君と何かの用事で、雑貨屋に立ち寄り、小さな町の中心部から少し山の方を上った道を歩いてい
ました。中心部に差し掛かると、丁度、Y君が自分の家のある団地へ向かい歩いてきます。そして、Y君
が言うのです。「あれ、秀嶋くん、何してるの?」。私は最初、K君と私がどこに行っていたのかを尋ね
られているのだろうと思い、「うん。○○の用でね」と答えたのです。するとY君は、一瞬、怪訝な顔に
なりましたが、すぐにいつもの笑顔になると、「また、冗談言って」と笑うのです。今度は一緒にいたK
君が怪訝そうな顔になりました。「何いってるんだ。本当に秀嶋君とぼくは○○の用事で行ってたんだ
よ」K君は真顔でした。しかし、そんなことは聞いてないというように、Y君は「だって、ついさっき、
秀嶋くんはI君と本屋さんにいたじゃないか」と言うのです。
しばらく、そうだ、そうじゃないと押し問答しているうちに、私たちは不思議な気分になってきました。
Y君は間違いなく、本屋さんでI君と一緒にいたのは私だと言い張るのです。「嘘だと思うなら、I君に
聞いてみろよ」。最後には怒り出します。しかし、K君が言うように、私は学校を終えて、家に戻り、K
君を誘って、山の方にある雑貨屋に行っていたのです。「どういうことなんだろう…」。私たちは凍てつ
いてしまいました。
私は勉強はできなかったのに、父親が買ってくれる小学館の本を愛読していました。小学何年生シリーズ
というものです。それには当時、漫画とは別に、読み切りの短編が必ず掲載されていて、それがおもしろ
くて熱中していました。以前読んだその話の一つに、同時間に同じ人間が別の場所にいるという現象があ
るという話があったのを思い出したのです。そのときは、ドッペンゲルガー現象という言葉は知りません
でした。でも、その短編にあったその奇怪な話は強く心に残っていたのです。
そして、事実、翌日、K君がI君に「昨日、秀嶋くんと本屋に行った?」と尋ねると、I君はさも当然と
いうように、「うん」と返事をしたのです。どうして?と聞き返すこともなく…。
実は、幼児期から小学校低学年、そして、そのときまで、私は、始終、デジャブを体験していました。生
前の記憶か予知能力と言われるフラッシュバック現象です。初めていった場所、初めて会った人なのに、
以前から、その場所や人を知っていたような記憶がある、あるいは、物凄く懐かしいと思うことが頻繁に
あったのです。前日の夜に夢に見た風景が翌日か遅くとも数日後に、現実となって現れるということもあ
りました。それは特質したことではなく、ごくありふれた日常の一コマとして現実になるのです。
友だちとちょっと歩いて出くわした風景、母親が言う言葉、そういった中にデジャブがあったのです。
講演地からその転向した町へ向かう途中、自分からデジャブがなくなかったのはいつだったか思い出そう
とし、思い出したのはあのときのドッペンゲルガーだったのです。
あの町には人の記憶や時間軸をズラす何かの力があるのだろうか。それを確かめるために、その町を舞台
にした映画の台本を考えています。