秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

甘えた舌

池波正太郎が食通だったことは、その多くのエッセイでも知られている。同じ下町、人形町生れの谷崎潤一郎もそうだった。

青山をこよなく愛した向田邦子もそうだし、野生的な食の醍醐味をこよなく愛した開高健もそうだ。
 
だが、同じ食通でも、その食彩が違う。そこがおもしろい。そして、もうひとつ。こじゃれたレストランや時流に乗ったような店は、どの作家もひとつも紹介していない。こだわりとがんばりでやってる、ちょっと庶民がたまの贅沢に行くような店ばかりだ。

池波正太郎は、昭和初期の食文化をこよなく愛した。京都をふくめ、いろいろな食を紹介したが、東京にある昭和の西洋食堂文化を広く知らせた功績は特に大きい。
 
いまでこそ、日本橋たいめいけんは、全国区の洋食の名店だが、池波が紹介するまでは、東京下町、日本橋界隈の人しか知らない店だった。上野精養軒の方が、観光客の口伝で知られていた。
 
池波の洋食を追って、私が歩いた道をたどると…

たいめいけんのハヤシライス、資生堂バーラーのオムライス、上野精養軒のカツレツ、銀座煉瓦亭のビーフシチュー、谷崎潤一郎の生誕地のすぐ隣にある人形町小春軒のメンチカツ、入谷に本店のある香味亭のタンシチュー、日比谷松本楼のハンバーグライス…
 
池波の流れで、私がお薦めなのは、よく知られている麻布十番のグリル満天星、代官山のレイズンウイッチなど洋菓子でも知られる小川軒…そして、母校そばの名店、高田牧舎…

いまは、都内あちこちに、イタリアンもあれば、フレンチも、スペイン、タイ、韓国、ベトナム、ロシア料理の店は珍しくはない。また、とんかつの専門店、カレーの専門店と、洋食も細分化が進んだ。
 
だが、私が大学の頃まで、洋食屋にいくのが最高の贅沢だった。食べたいものがなんでもある、パラダイスだったのだ。もちろん、1年に1回いけるか、いけないかの経済力しかなかったが…。

私の生まれた福岡でも、子どもの頃、なにかのときにしかいけない洋食があり、それがいま全国チェーンになっているファミレスの走り、ロイヤルホストだ。福岡の本店は中州にロイヤルと名前で店があった。市民の憧れの洋食屋だった。

いまでは洋食屋がすっかり少なくなり、いまいった店もいくつかは経営者は高齢の店もある。なんとか継承しているが、洋食屋は労多くして利少なく、しかも、いいものを出そうとすると、手間がかかる。
 
店の改修にも金をかけられず、それがかえって古びた風情で味わいがあるが、耐震工事を迫られたら、続けられない店が多い。
 
庶民がたまに、やっと背伸びをしていける店。それでいて、代々の店主のこだわりや思いがこもった、手間暇かけた、洋食…時流にも、流行にも、時勢にも乗らない。そこがいい。
 
だが、そうした店もあと10年もするとなくなっていくのだろう。食ひとつとっても、大事なものを大事にできなくなった日本人の驕り、肥えて、甘えた舌が見えてくる。

そんなものを置き去りにして、選挙が終わった。

まだ、食べていない。香味屋のタンシチュー…



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