秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

おまえはおまえ

人が仕事やなにかの活動において、もっとも時間や体力、いわゆるエネルギーを使い、パッションを傾けられる時期というのがある。
 
30代から40代後半。男女にかかわらず、そこがもっとも運動量を高く、質も維持できるときだと思う。

そして、その運動量やモチベーションを支えてくれるのは、年長者や先輩の有形無形のサポートだ。私、自身、この時期、5歳から10歳以上自分より上の方たちから、いろいろな示唆や学習、トレーニングの機会と自分の思いを実現するための様々なサポートをいただいた。

歳下の20代、10代の力も支えではあったが、組織や社会を動かす上では、どうしても上の世代の力がいる。だが、依存する気持ちを持ったことも、その力を当てにしたこともない。
 
自分が上の世代になって思うが、依存や力を当てにした自分より下の世代は、基本、目的も達成できれなければ、何事かを成就はできない。いわゆる、自分の世界、オレワールドを持っていなければ、目標の実現は難しい。また、上の世代からみても魅力を感じないからだ。
 
もちろん、すべての大人がそうではない。だから、それは僭越ながら、いつも値踏みさせてもらう。社会的地位や立場、富がある人かどうかではない。それはまったく意味をなさない。その大人が変革や改革、斬新さや新規性を旨としているかどうかだ。
 
仮に、現実行動ではそうではなかったとしても、そこを叩けば、歯ごたえがあるかどうかだ。既存の価値や権威が絶対だと思ってるバカ大人にはそれはない。

大方、そういう人は若い頃、なにかと闘っている。闘った経験がある。でなければ、闘っている若造の生意気さも、未熟さも、そして可能性も受けとめることはできない。

私もかつてのように、すべてを自分ひとりの熱意や力だけでやれる世代ではなくなった。もちろん、それでも走れる限りは走る。そう思っている。しかし、そう思える自分にしてくれたのも、自分の視点や思考、そして行動を支持してくれた先行するだれかがいてくれたからだ。

よくやってるなとか、立派だとかいう言葉ではない。おもしろいやつだなとか、相変わらずだなとか、揶揄や冗談で声をかけてくれる人だ。

私は、幸せなことに、そうした人にたくさん出会っている。その中の一人の方が、先日、亡くなった。

最後にお会いしたのは、昨年の11月だった。体調の不調はその前から聞いていた。だが、それが重篤な状況とは知らなかった。11月にお会いしたとき、ある講話に登場されたのだが、その前と後の控室で、私ネタを冗談と冷やかしで、周囲の方に盛んに話してくださっていたらしい。
 
私の過激さも、過激さゆえの熱意も、そして、強引なところも、そして、ひとつに縛らることが嫌いで、自由自在でいられないとじっとしていられないことも、すべて承知してくれている方だった。
 
その方と話していると居心地がよかった。人を不快にすることの得意な私は、見習わなければと思った。だが…
 
「そんな殊勝な言葉はおまえに似合わないよ。いいんだよ。おまえは、おまえのままで。失敗したら、見つめ直せばいい。やり直せばいい…」。

ご遺体に「ありがとうございました」と挨拶すると、ふとそんな言葉が返ってきたような気がした…。ヘビースモーカー仲間が、肺の病で、またひとり、いなくなった。