秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

元素記号

世の中には、乱戦に強い人と乱戦に弱い人というのがいる。一対一のタイマンの関係では、力が発揮できても、集団戦の中では、からっきし力を発揮できない人というのがいる。
 
乱戦に強いというのは、理屈で動かないからだ。一対一のタイマンなら、じっくり相手の力を読む、互いの間合いを測る、気合を見定める…ということができる。だが、乱戦は、直感と瞬時の判断で動くしかない。相手を値踏みして見定める時間などない。だから、一瞬で相手を読まなくては、動きがとれない。
 
形式にこだわるタイプとそうではないタイプの違いだろう。しかし、一番の理想は、形式にはこだわりつつも、形式に価値をおかないタイプなのではないだろうか。
 
乱戦に弱い人というのは、基本、ひとり好きだし、自分好き。自分のペースと自分の間合いで事に当たらないと落ち着かない。ペースが乱されることをことのほか嫌う。しかし、乱戦に強い人というのは、また、周囲を置いてきぼりにする。理詰めでしか事に当たれない人の話を聞かない。面倒くさくなるからだ。
 
ことほどさように、物事の関わり方、人との関わり方にも、極端ないずれかはよくない。乱戦の場にあっても、ときとして、そこだけが真空地帯のように、一対一のタイマンになるときもある。また、一対一のタイマンがやりたくても、物事の関わりが大きく
なれば、得手不得手などいっていられず、人とのかかわりも増え、乱戦を生きなくてはならない。
 
つまり、そのときの状況や人に合わせた、水が細きをながれ、太きにつながるような自在さが必要。物事や人とのかかわりをうまくこなしていくには、そうしたゆるさとやわらかさ、そして、強さが必要だ。
 
いまいろいろなものが、硬直している。ひとつには、戦後66年もの間につくられ、通用しなくなった方程式を後生大事に抱えたまま、社会がまだ違う数式に置き換えることができていないでいるからだ。
 
いまの政治はおかしい、いまの社会はまちがっている、いまの家庭のあり方では子どもがまともに育たない…いまのままでは地域が立ちいかない…いろいろな、いまのままでは…が語られながら、それを語っている多くの人の話をよく聴けば、そこにあるのは、いままでのままの発想だったり、どこかで聴いた、いまのままでは…の指摘だったりする。
 
どこにも新しさはなく、どこにもいままでとは違うものがない。また、新しい兆しになる取り組みやいままでになかったことへの挑戦がないわけではないが、それが、体系づけられていない。それぞれがバラバラで、兆しだけで終わっている。
 
細きから太きへ流れるというのは、自在さだが、その自在さは、H²Oという元素が基本になっている。自在さを生み出すためには、それにふさわしい元素記号が必要なのだ。
 
一見、無手勝流に見えて、ただ自在であるように見えるものの背後には、必ず、そうした確かなものがある。その確かさをしっかりつくること。そこからしか、乱戦の強さも一対一のタイマンへの強さも生まれてこない。