秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

恋のこと

最初に恋心をいただいたときのことを覚えている人は少ない

幼稚園の先生とか 幼稚園の同じクラスの子とか 近くのお姉さんだとか

いや 本当は最初に恋をするのは 男は母親なのだ 女は父親

ギリシャ悲劇のほとんどが近親相姦の悲劇に見舞われる気高き人々の姿を描いているのもそのため

オイディプス王」のドラマからエディプスコンプレックスという言葉が生まれたことはよく知られて

いる

人間世界で人間の都合によって生み出される社会正義や道徳 倫理といったものが実は神の気まぐれの前

に いかに無力か 

いかに正しき生き方をしよう しているつもりでも それができていると思い込んでいるのは人間だけ 

人間の愚かさとしても社会正義や道徳 倫理はあるのだ

神の前に 見えざるものの力の前に いかに無力か そして 人は気高かろうが 賎しかろうが

いかに 邪で 淫靡で 妖艶で いかがわしい存在か

ギリシャ悲劇はそれを不条理性ということで痛烈に いまもで現代人に投げかけている

だが それでも 人は人を愛し 力や富 権力を求めたがる

もしその人物が民の幸せを願う高貴な人間であれば なお その理不尽な運命に 悲劇性は高まる

しかし 多くの人は 自分の中にある母親への愛 父親への愛と向き合えない

当然ながら 思春期から青年期は母殺し 父殺しを精神的にやってしまわなければ 自立できないからだ

それをしないために母子密着が生まれ 不登校やひきこもり それらを誘引とした家庭内暴力や殺傷事件

が起きる ある意味 家庭内暴力や殺傷事件はギリシャ悲劇を生きているとさえ言えるのだ

いま 恋ができない 人を愛することができないという人間がふえている

恋ができたとしても それを成就することができない

むろん 何をして成就というのかが問題だけど

男も女もちぐはぐな恋をし だから マニュアル本や恋愛指南のような本が売れている

しかし いくらマニュアルや指南にすがっても 恋愛などできるわけがない

自分の母と 父と 向き合わなければ 恋はできない

母を母としてでなく 父を父としてでなく

ひとりの人間 異性として まともに受け止められなければ

高齢になり 弱った親の介護もできないのではないかと ぼくは思う

恋ができない人は たぶん 親の介護もできない人のような気がするのは

ぼくの深読みだろうか

当たり前の親子関係 依存 そして自立 そして独立

その過程が自然であれば 恋にとまどうことも 親の介護に困惑することもないような気がしている

つまり ぼくら大人も含め 若い人も もっと大人にならなくてはいけない

強くなることではない えらそうになることでもない 子どもっぽさや甘えもいけないのではない

ただ 人と向き合うとき 少しでも大人であろう 相手を思いやれる人間であろうとすることが必要

なのだ

いわば 若い頃の恋愛は それを勉強するための修練のためのものだ

だから 傷つくこともあるし 裏切られることもある また 傷つけることもあるし 裏切ることもある

その痛みを深く自覚できるかどうかで 大人になれるかどうかが決まる

セックスは大事だが セックスだけで愛は育たない

だが セックスがないと愛も育たない

しかし セックスがなくても愛は育むことができる

この三つの方程式を解くために 実は人は恋をしている

そして 母を人と 父を異性と見る 見れる力を養っている


ぼくはとても父と母に愛されて育った

だから この「あの素晴らしい愛をもう一度」も綴ることができた

だが 愛されて育ったからこそ いま述べたように 本当の意味で母と父から自立することがなかなか

できなかったような気がする

父と母がいけないのではない

また ぼくがいけないのでもない

それを 今度は 恋について語ることで 確かめてみよう


つづく…。