秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

おいしい水

幼稚園の年長の頃、ぼくは父の転勤で福岡市内の六本松というところに引越した。

ぼくは福岡を離れるまでに5回ほど引越しを経験している。転校生の悲哀をぼくは北九州市門司区田ノ

浦という寂れた漁師町に引越した小学校4年のときに初めて知ったが、小学校の低学年の頃、1学期ごと

に引越しを味わった姉に言わせれば「そんなの転校生のプロとは呼べない」らしい。

警察官という職業はやたら転勤が多い。

公正を規すべき職業が一ヶ所に長くいることで利権と癒着することを嫌うからだ。また、昇進試験に合格

したとき、昇進をたくさんの同僚や上司がいる現在の職場でなく、他の署で行うという配慮が働いてい

る。上司にとってはかつての部下が同僚となり、昇進した者にとってかつて机を並べていた同僚が部下に

なるという職場環境は命令系統が明確になっている警察機構では好ましくない。そこに以前からの人間

関係や情がからみ、上下のけじめが付けにくくなるからだ。

したがって、ある一定の時期が来たり、昇進試験に合格するとスワ引越しということになる。

辞令が出る時期になると警察官舎の主婦は情報収集に奔走しなければならない。昇進試験に受かった家は

怠りないのだが、そろそろ転勤かなという一家が大変なのだ。

母も姉も父の辞令がでると「それ!」とばかり、盆と暮れが一緒に来たような慌しさで引越しの準備をし

ていた。そのせいか、二人ともあまり引越しは好きではないようだった。

あの頃はいまのように引越しサービスはなくて、荷造りの箱から自前で用意しなくてはならなかった。ぼ

くが幼稚園の頃はまだ段ボール箱はこの世に登場していなかったのだ。どこでどう工面してくるのか、木

箱や板を揃えて、箪笥や食器棚の大きさに合わせ、ムシロで家具を包んだ上からひとつひとつ金槌と釘で

板を貼り、養生していく。父が独身時代から使っていたという柳行李は小物を運ぶ有力な武器だったし、

布団袋は麻でできた丈夫なものだった。

大学の頃からよく友人の引越しを手伝ったが、ぼくの手際のよさにみな一応に驚嘆した。小さい頃から見

よう見真似で引越しのノウハウを身につけていたためだろう。それくらい、あの頃の警察官舎の人たちは

みな手馴れていた。トラックの積み込みからロープの結び方まで、転職しても十分にやっていけるだけの

技術があったとぼくはいまでも思っている。

転勤先に到着すると今度は新しい部著の部下や同僚の男たちが待ち構えていて、梱包を解き、あれよとい

う間に家の中に荷物を入れる。力仕事の男たちばかりではない。加勢に出る女たちも手際よかった。荷物

が家の中に運び込まれるとまるで梱包された木箱の中に何が入っているのか知っているように鍋、釜、食

器、調味料を取り出し、あっと言う間に手伝いの人々に出す食事や宴会の用意をしていく。

いまでは宅配などいろいろなサービスがあるが、それは昔、みんな隣3軒両隣の人たちの手を借りて済ま

せていたことばかりだ。生活が豊かになるにつれ、大人たちはそれらをお金で買うことで、周囲との人と

の距離をできるだけ遠くに置こうとするようになっていった気がする。確かに、近所の付き合いの中で、

様々な生活の雑事を処理していくには、普段から互いの気持ちをくだき、時間も割かなくてはならない。

いつかそのことを、ぼくたちは「面倒くさいこと」と思うようになってしまったのだ。

そして、面倒くさいことを避ける生活の中で、人といさかったり、いがみ合ったり、仲直りしたりしなが

ら探っていく、貴重な人間のふれあいも、そのために必要なエネルギーも失っていった。

荷を解いて、大方の片付けが終わると引越し祝いの宴になった。

仕出し屋の出前と女たちが手際よくつくった料理が座卓の上に所狭しと並べられ、家の主を中心に男たち

は酒を酌み交わした。

ぼくはおばさんたちが忙しなく立ち働く台所のそばで、その忙しないけれど、どこか生き生きした情景を

眺めるのが好きだった。湯気の昇るヤカン。沸いた鍋につけられるお銚子。お盆に乗せられて運ばれるい

くつもの料理。漆器や陶器の擦れ合う音。男たちの笑い声、女たちの笑顔…。

母や姉は荷造りから宴席、そして、みんなが帰った後の片付けまで休みなく働き、そして愛想笑いを絶や

さなかった。たぶん、その慌しさと気づかれのために引越しが好きにはなれなかったのだと思う。

だけど、ぼくはお客さんが帰った後で、普段は口にできないご馳走を食べるのが大好きだった。いや、そ

れ以上に、住み慣れた家を離れ、知らない土地へ旅立ち、知らない人と出会うことがぼくにとってはわく

わくするような冒険旅行だったのだ。

荷造りを終えて、明日トラックが来るという夜は興奮して眠れなかったし、引越しを終えて、まだ荷の解

かれていない雑然とした部屋で床につくと、これから何かすごく新しくて、楽しいことが始まる期待感で

ドキドキした。

男たちの顔が酒で朱に染まる頃には家中がアルコールの匂いでいっぱいになった。その頃には来た者、迎

える者、互いにどこか遠慮がちだった堅さがとれ、宴はほどよく乱れた。

襖越しに漂ってくるアルコールの匂いはなんとも芳ばしい香りで、「あれは一体何なのだろう」といつも

うらめしく思った記憶がある。

父が下戸だったから、ぼくは今でも酒場の空気は好きだが、周囲が思うほど、酒好きではない。しかし、

当時はあんなに香りのいい飲み物を飲める大人は得だと本気でうらやましく思った。

ボサノバの名曲で、「おいしい水」という曲がある。

先輩の影響で、ジャズやボサノバを聴き始めた高校生の頃、そのタイトルと出会って、ぼくは小さいとき

の引越しにまつわるそららの情景と襖を隔てた向こうから大人たちの笑い声と一緒に漂ってくる酒の芳ば

しい匂いを思い浮かべていた。

高校時代から大人ぶって、酒やウイスキーは口にしたが、その味とあの匂いとがどうしても重ならなか

ったのを覚えている。その世界がおぼろげながらわかるようになったとき、ぼくはもう四十歳という年齢

になっていた。