秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

露天掘り

 ぼくが住んでいた大牟田の警察官舎のすぐそばには絶対にそこで遊んではいけない「露天掘り」という

場所があった。石炭の採掘にはいくつかの方法があって、露天堀りというのは地下の坑道を掘り進むので

はなく、まさに文字通り、地面の下に埋もれた石炭の鉱脈を、地上から露天で上から下へ掘り進めるやり

方のことを言う。

 官舎の前に広がる畑の向こうに左右に走る生活道路があった。その道路の先に広い原っぱがあった。そ

の原っぱの奥と小高い丘の間に露天掘りの跡があったのだ。遊んではいけない場所だったからその淵を覗

き込んだことはない。しかし、たぶん、幼児が落ちればまちがいなく、急勾配のすり鉢に吸い込まれ、深

い底に叩きつけらるような場所だったのだろう。

 安部公房の小説に、露天掘りのすり鉢の底にある飯場に住む女と地上の見えない何かとの葛藤を描いた

砂の女』という小説がある。岸田今日子主演で映画にもなった。その舞台設定に使われていたのが、露

天掘りだった。地上へ這い上がろうとしてもその傾斜と砂地獄のように体を呑み込む流砂が行く手を塞

ぐ。すり鉢の底に生活しながら、自分たちが何者かに管理され、支配されながら、奴隷のような自分たち

の状況に気づけない。それに気づき、脱出を図っても流砂の砂地獄に命を奪われてしまう。ぼくは、小学

校のときにNHKで放送されたそのドラマを見たとき、大牟田の露天掘りの風景を思い出していた。そし

て、大人たちが危険な場所と囁く空間には、そこに一旦嵌ると日常へ立ち戻ることができないという別の

意味が含まれていたのだと勝手に深読みしていた。

 すり鉢の底に生きる者が地上へ這い上がっていけないように、地上にいる者はすり鉢の底を覗き込んで

はならない。かつて、ぼくらの生活空間にはそんな日常と非日常が近接して存在していたような気がす

る。

 小学生のときは、自動車試験場跡のグラウンドの脇にあった、スクラップ集積場だった。いま、福岡大

学大濠高校の校舎がある場所だ。絶対に遊んではいけない場所は小学生も中学年くらいになると格好の探

検場になる。友だち数人と忍び込んでは、錆びだらけの廃車のハンドルを握り、運転の真似事をして遊ん

でいた。その敷地には廃屋の工場跡があり、ある日、そこに侵入したことがある。トタンで囲われた中は

オイルの臭いが充満していた。自動車の整備工場だったらしく、先端に大きな鉄のフックがついた部品を

吊り上げるクレーンや車体の底を下から整備するためだろう、コンクリートの床を地下室のように四角に

切り取った穴のようなものもあった。

 それまで、工場の中にまで侵入したことのなかったぼくらは、まるで少年探偵団の団員になった気分で

うきうきしながら、辺りを徘徊した。気分は上々。上気したぼくらはいつか切り取られた四角い穴の回り

でふざけ、「あっ、だれかが来たぞ!」と仲間を驚かせながら、わっと走り出してはだれもいないことに

笑い転げるといった遊びに熱中していた。

 そして、はっと気づいたとき、ぼくは深く切り取られたコンクリートの淵に手のひらでぶらさがってい

た。深いくぼみの中にはオイルがよどんだ黒い水がかなりの量、溜まっていて、腰から下はその水に浸か

っている。足がつくには程遠い深さだった。小学生の身長では、そのまま落ちれば、命を落としかねな

い。思わず、「助けて!」と何度も叫んだ。一緒に遊んでいた仲間も蒼白となり、最初はどうしていいの

かわらず、しばらく凍てついていた。小さな子どもの力でどうなるものでもなかった。いのちの危険に晒

されると事故を見ている者も体がすくんで何もできなくなるのだ。それでも、だれかが助けを呼びにいっ

て、大人のだれかが引き上げてくれたのか、仲間が引き上げてくれたのか、定かな記憶がない。しかし、

腰から下は油まみれになりながら、気づいたとき、ぼくは何とかコンクリートの上に立ち上がっていた。

辺りに広がっていた油に足を滑らせたのだと思うが、咄嗟に淵に手をかけたことがぼくの生死を分ける

ことになった。不思議な力で救われたような感触があった。

 中学生時代には、その頃住んでいた官舎の側に、黒ずんだ廃屋の3階建ての建物があった。まるで映画

に出てくるような朽ちたビルで、窓枠はなく、火事で焼けたのか、ビルの内側の壁面まで黒ずんでいる。

床には剥がれたコンクリート片が散らばり、歩くとその破片のくだける音が辺りに響き渡る。

 お化けが出るといわれたが、探検していみると朽ちた壁には男性器や女性器を描いた、卑猥な落書きが

あちこちにあった。そして、それと確かにわかる痕跡があるわけでもないのに、どことなく、性行為その

のもの感触があった。思春期に入ったぼくにとって、そこは淫靡な性への入り口のような世界に見えた覚

えがある。

 大牟田では、行ってはいけない、露天掘りの原っぱで、近所のお姉さんと遊んだことがある。

当時、高校生くらいの年齢の女の人だったと思う。まだテレビが珍しかった時代、よその家に上がり込ん

で見たテレビのプレレス中継の真似事をして、両腕をお姉さんの腰に回し、力を込めて閉める、胴締めと

いう技をからかうつもりでかけた。

 「胴締めだ!」ぼくははしゃぎながら言った。すると、そのお姉さんは少し顔を上気させ、「まぁ、ケ

ンスケちゃん、いやらしかぁ。そげなことしたら、いかんとよ」と照れ笑いしながら言うのだ。そのと

き、ぼくには、お姉さんの言葉の意味がわからなかった。しかし、中学時代、黒ずんだ廃屋の空気にふれ

たとき、「ああ、あのとき、彼女は下腹部に熱い何かを感じていたのだな」と気づいた。太ももに火傷の

の跡が残る女の子のことを思い出したのもそのときだ。廃屋の性の残り香の中で、ぼくは一気に性という

ものが幼い頃から自分や自分の周囲にあふれていたのだと実感した。

 「絶対に遊んではいけない場所」。それはときには生死にかかわる場所になる。しかし、その場所で、

子どもは大人になる作法や日常では得られない何かを学ぶこともできるのだ。岡場所、悪場所は子どもを

大人にする場所でもあった。かつては、そうしたダークサイドが街や生活のすぐそこにあることで、ぼく

らは奇妙な体験を積み重ねることができた。ダークサイドと日常の生活がいつでも自由に行き来できる場

所に共存していることが、それを可能にしていた。

 とりわけ、この十年。猥雑で、淫靡で、スリリングな「絶対に遊んではいけない場所」を次々を排除

し、息が詰まるような清潔さと人間の臭いがしない、無機質な世界を地方にも都会にも人々は広げてき

た。ダークサイドをすべて悪とする、白日にすべてをさらけ出す正義が世間を跋扈している。そこに果た

して、子どもが大人になるための大切な学びがあるのだろうか。大人がふと自分の人間臭に気づき、善悪

だけでは割り切れないのが人間なのだと生きることをおもしろがれる世界があるのだろうか。