秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

サイレン

 ぼくがいま生活の拠点にしている港区では5時になると「夕焼け小焼け」のチャイム音楽が流れる。

大牟田の警察官舎にいた40年以上前はそれがどこでもサイレン音だった。いま突然サイレン音がけたたま

しく地域に鳴り渡ったら、きっと何事かと人々が飛び出してくるに違いない。ぼくが子どもの頃、聞いた

サイレン音はまさに戦争中の空襲警報に使われていたそれだったのだ。

 いまではほとんど耳にしなくなったが、工場街などを何かの用であるいて、たまにあのサイレン音を耳

することが以前はあった。そして、その音を聞くと、いつも大牟田の警察官舎の前の畑をどこからともな

く現れ、走ってきた女の子のことを思い出す。

 ある日の夏の夕暮れだった。ぼくは男友だちの何人かといつものようにチャンバラごっこをやってい

た。ぼくの自慢は赤胴鈴之助と同じ、赤い鞘の刀だった。東映の時代劇で悪役の俳優が持つような重量感

のある刀が欲しいと言ったのだが、それは値段が高く、母に「ほら、赤胴鈴之助はこっちの刀ばい」と

安い刀を選らばされたのだ。しかし、当時の子どもは赤胴鈴之助と聞いただけですべてOKで、ぼくはそ

の貧弱な刀を貧弱とは思わず、自慢していた。チャンバラに夢中になり、気がつくと自分の頬から赤い血

が流れていた。だれかの刀が誤ってぼくの頬を切ったらしい。痛みはまったくなかった。「ケンスケ、大

丈夫や?」そういって友だちがぼくの顔をのぞきこんだとき、サイレンの音が鳴った。それまで、ぼくの

ことを心配していた友だちは、その音を聞くと、ぼくの怪我のことなど忘れたように、「じゃ、また明日

な」といってその場を走り去っていく。サイレンが鳴ったから帰る。どうしてだか、当時の子どもたちは

それを頑なに守っていたし、サイレンが鳴って帰らないと親に凄く叱られた。友だちが足早に去ったのは

親から叱責されるのがこわかったからだ。

 ぼくは仕方なく、右の頬を押さえたまま、自分の家へ向かおうと立ち上がった。いつも見渡している官

舎の前の畑の風景が、なぜか新鮮な映像として目の前にあった。人っ子一人いない見渡す限りの畑をぼ

はなせかしみじみした気分でみつめていたのだ。そのとき、視界の右奥の道路面した畦道を一人の女の子

が駆けていた。見たことのない女の子だった。

 彼女はずいぶん遠くから走ってきたのか、激しい息遣いで肩がゆれている。その子の姿がどんどん自分

に迫ってくる。どうしたんだろう。自分に何か用でもあるのか。そう思うぼくの脇を彼女は猛烈なスピー

ドで走り抜けていった。なんだよ。期待はずれの感触をいだき、自分の家へ歩き始めたときだ。さっきの

女の子がいつまにか、戻ってきて、ぼくに声をかけた。

「あんた、なにしてるの!」振り返ると彼女はすごい剣幕だった。

「えっ?」

「すぐに防空壕に避難しないと、やられるよ!」

彼女はそう言うとぼくの手をつかんで、走り出そうとする。

「ね、ちょっと待たんね!」

押し留めようとするぼくの手をそれでも彼女は強引にひっぱる。

「早くしないと空襲が始まるよ!」彼女の顔は必死だった。

クウシュウ? ぼくはどこかでその言葉を聞いたことがあった。だが、そのときは、すぐには思い出せな

かった。行く行かないとしばらくもみあっていると、女の子は、ぼくの頬の怪我に気づき、ふと力を緩め

た。

「それ、どうしたの?」

「チャンバラで切ったったい」ぼくはぶっきらぼうに答えた。すると彼女は、肩から提げていた雑袋を

開け、ヨウドチンキを取り出すと「そこに座って」と畦道にぼくを座らせた。雑袋の中にはずきんのよう

なものがきれい畳まれて入っていた。

彼女は手馴れたしぐさでヨウドチンキを塗り、ガーゼと油紙を傷口を押さえると起用に絆創膏で固定し

た。彼女に処置を任せている間、辺りに吹き抜ける夕暮れの風がここちよくかった。彼女の顔がぼくの顔

に近づく度に、ぼくはなんだか胸がどきどきするのを感じていた。

「さあ、これでももう大丈夫…」そういって、立ち上がると彼女は突然、自分がどこにいるのかわからな

くなったように訊いてきた。

「ねえ、ここはどこ?」

「どこって…」

ぼくがその質問に困惑していると、彼女の顔はみるみる泣き顔に崩れていき、とうとう大声で泣き出して

しまった。さっきの大人びた雰囲気がウソのようだった。

「泣くな!」ぼくはそう言うと、迷子の面倒を見るはめになった自分を嘆きながらも、とにかく自分の家

へ連れていこうと彼女の手を握って歩き出した。

家の前までくると女の子の泣き声を聞きつけて、母が出てきた。「また、女の子ば泣かせてから!」と叱

られるかと思ったら、母は、その子の姿を見るなり、一瞬こわばった表情になった。だが、すぐに女の子

の眼の高さまで腰をかがめると「もう泣かんでもよかけんね」とやさしく彼女の髪をなでた。そして、

何も言わずに家の中に入れると、水を汲んで女の子に差し出した。女の子は、それを泣きながら少しずつ

飲んでいた。母は、彼女が少し落ち着いてきたのを見計らうと、手を洗い、竈で炊き上がったばかりのご

飯をお釜から掬い、大きなお結びを握り出した。母がどうして急に握り飯なんか握っているか、ぼくには

不思議でならなかった。母が握り飯を握っている間中、彼女はまだシクシク泣いていたが、母が握り飯を

布巾で包んで、「ほら…」といって差し出すと女の子は笑顔になって、「ありがとう、おばさん」と言っ

た。ちょうどそのとき、どうしたことかサイレンの音が遠くから聞こえてきた。いつもは5時にサイレン

が鳴るとその後、サイレン音が鳴ることはない。あれ…。とぼくが思った瞬間、女の子は明るい顔になり

「あ、空襲が終わった!」といって、外へ飛び出した。そして、一瞬立ち止まり、こちらをふりかえると

もう一度、「ありがとう、おばさん!」といって走り出していった。ぼくは彼女を追うように外に飛び出

した。しかし、夕暮れの迫る官舎の前の畦道にはだれの人影もなかった。

母はぼくの肩に手を乗せると、「あの子は、まだ、あの空襲の中を走り回りよっちゃね…」と独り言のよ

うに言った。母の顔には、涙が流れていた。

ぼくが高校生のときだった。北朝鮮が38度線を越えて、韓国に攻め込んできたというデマが高校生の間に

流れたときがある。戦争が始まる。圧倒的な不安と恐怖が襲った。そのとき、あの夕暮れの女の子のこと

をなぜか思い出した。あれは、ぼくがその後小学館の付録についている読み切りの短編を読んで、大牟田

時代の記憶とごちゃまぜにした、フィクションだったのだ。しかし、戦争が終わった後も、まだ、防空頭

巾を雑袋に入れ、サイレンの音におののきながら、防空壕を求めて走り続ける女の子の話はどうしようも

なくせつなかった。

北朝鮮が攻めてきたというデマが流れて、すごくこわかったという話を母にしながら、女の子の短編物語

大牟田の記憶がごちゃまぜになったフィクションのことを思い出したんだよと話すと、母は、「あの子

は、きっとまだ、空襲のサイレンの中を走りまわってるのよね…」と思い出したように答えたのだ。

母は、その子の姿を見た瞬間から、この子はこの世のものではないことがわかっていたと言った。ぼくが

フィクションと思っていたものはフィクションではなかったことをそのとき初めて知ったのだ。