海の夢想家たち
子どもの頃、夢想したり、妄想にふけったり…。つまり、現実の時間にそぐわないでいることはいけなことのようにいわれた。
なに、ぼんやりしてるの。ほら、ぐずぐずしないで。ほら、よそ見しない…。
すべての母親とか、親がそうしたものとは限らないだろうが、子どもの回りにいる大人の多くは、近しいほどに、夢想し、空想する子どもに、「それでは、現実を生き抜けないよ」と教える。
それも親心だし、大人のあるべき教育のひとつかもしれない。けれど、きっと、夢想し、空想し、妄想にふけってしまう子どもは、そういわれても、やはり、現実の時間に添おうとしていても、つい、ふと、思わず、そんな時間を生きている。
ぼくは、子どもの頃から、人が生きる時間や空間は、じつはたくさんあって、たまたま自分は、これが現実だと指定された、いまを生きているのに過ぎないのじゃないかと思っていた。
現実ではない、ぼくが夢想したり、夢に見る時空にも、ぼくはいて、だれかもいて、そこで別のリアルを生きているんじゃないかってね…
だけど、摩訶不思議な素数の世界を持ち出すまでもなく、ぼくらは、ぼくの知らないところで、ぼくらが生きていないと思っている時間の中でも、ぼくらは生きている。
世界は決して、自分の脳だけが認知している、自分のいまいる時間と空間だけじゃない。
世界は決して、自分の脳だけが認知している、自分のいまいる時間と空間だけじゃない。
今回、小さな映画祭だけれど、いわきの友人たちがなにを思ったか、3年前のぼくの作品を映画祭にかけてくれた。二週続けて、いわきへ行き、ここまで来ているのに、相馬にいかないわけにはいかないからと、久々相馬にも顔を出してきた。
そこで、いわきや相馬の友人や仲間とバカ話をしながら、酒を飲み交わしていると、自分が東京にいても、自分は、ここに居場所をもらい、仲間と生きている時間と空間があるのだと強く感じる。
東京の時空を切断して、ぼくがそこにいるのではなく、東京の時空では、ぼくがそこにいながら、福島の時空でも連続性をもって、ぼくの時空があるのだ…そう感じたのだ。
おそらく、それが自分の生まれた場所とか、生きていた場所だったら、そんなふうには感じないだろう。少なくとも、ぼくは福岡や佐賀に、こうした感情を持っていない。
そこは、東京の時空を切断して行く、訪問の時空、旅の時空で、異邦人であるぼくは、もはや、そこに自分が生きる時空がないことを知っている。
たぶんだけれど、福島だからということではなく、この6年でぼくが出会った人たち、そして仲間となり、友情を結んでくれている連中も、きっとぼくと同じ夢想家なのじゃないかと思う。
きっと、現実を生き抜くために、そして現実を変えるために、ぼくらには、夢想が必要なんだ。