秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

おかげさま

ひとつの目標を立て、ひとつのことに人々が結集する…。多くの人は、それだけで素晴らしいことだと関心したり、ほめそやしたりする。

だが、果たして、ひとつのことを人々が団結してやることは、そんなに立派なことだろうか。すごいことなのだろうか。

たとえば、そこにかかわるのは、満たされていない、生活のなにかを埋めたいという気持ちだけなのかもしれない。あるいは、そうすることで、人々の視線を集め、いい事をやっていると名声を得たいだけなのかもしれない。

中には、それによって、まわりまわって自分の仕事や生活に利益がもたらされることを計算して、そうしている人もいるだろう。

人のため、地域のため、社会のため、国のためなどといった、公的な建前があれば、その計算や打算がごまかせるとソロバン勘定でやっている人もいるに違いない。

ひとつの目標に、人々が集まるというのは、そこに人それぞれの思惑もあれば、計算があることを否定できない。自分たちに仮にそうしたものがなかったとしても、「一体、あの人たちは、何がねらいでやっているのか…」という疑念を持たれても仕方がない。

堂々とトクを考えてやっています。そう言い切る根性があれば、それはそれであっぱれだけれど、少なくも、「〇〇のため」などとおこがましいことをいうのであれば、そうした疑念に応えるだけの他者に毅然と説明できる行動と理念がなくてはいけない。

ぼくは、社会的なメッセージ、行動を起こすとき、それが集団という形をとるとき、その問いが厳しく、集団や組織をリードする人間になくてはいけないと思っている。

事あるごとに、問い続けなくては、それこそ、人や地域や社会、国に、つまり、人々に対して失礼だ。

失礼にならないためにできる一番のことは、自ら足を運び、人に会うことだ。運ぶだけではない、思いや願いや希望や夢を語り合い、ぶつけあうことだ。なぞるように、顔を出すのではなく、ある特定の人や場所にだけ行くのではなく、事あるごとに、機会をとらえては、出会いを次の出会いへとつなぎ、出会いの範囲を広げていくことだ。

そのための時間を惜しまず、費やすことだ。

それが疑念を消していく、最良の方法だとぼくは確信している。それによって、自分や自分たちの愚かさや無知さ、不勉強さ、あるいは、予測の妥当性に気づかせてもらえるから。フィールドワークの実践と調査検証。

そんなことを積み上げてきた6年、今年度の事業が3日前に終わった。とはいえ、まだ後処理と別の案件もも残されているのだけれど。

今年度も多くの反省点、未熟さ、無知さ、無力さといったものに出会う毎日だった。
同時に、ああここまできたなと、いろいろな意味で成果も感じられる日々だった。

時間が経過するほどに、変化もあれば、ややこしいこと、うざったいことにもたくさん出会う。だが、それも、自分や自分たちの次へ進むための訓練の場、 次への心と構えをつくってくれる場と思えば、ありがたいことだ。

とりわけ、旧知の人たちに加え、未知の若い人たちとの出会いが多かったことはとてもうれしい。次への、明日への、未来へのバドンを渡す人たちの姿がぼくには、おぼろげに見えている。

そうしてくれたのは、ほかでもない、問い続けながら走っている姿を見て、手を貸してやるかーwと、共に行動してくれている、福島の人たちのおかげさまだ。

今回も、ほんとうに、ありがとうございました!