秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

力学の使い方

この世のあらゆるもの、ぼくらの日々の暮らしを成り立たせている、宇宙の自然にも、ものづくりやアートにも、すべてに力学が働いている…

ニュートン力学から宇宙物理学、量子力学、非可換幾何学といった難しい理論や言葉を知らなくても、ぼくらは、いつも力学に包まれた世界に生きているのさ。

気象、気候、風、水、海…その動きは、太陽や月、宇宙の星同士の引力によって生まれている。動植物、農産物、水産物も、工業も、その力から自由じゃない。

アートにおける絵画も、造形、建築も。演劇も。空間力学から自由じゃない。音波が伝える自然界の音も。楽器も、摩擦、空気圧、打圧といった力によって音をかなでている。

困惑するほどの報道だったオリンピックだけれど、そのすべての競技を見ていても、そこにそれとわからず、力学がかかわっていることに気づけやしないかい?

引力と、風の抵抗と、水圧と、潮流と、互いの腕力や体力と、相手の圧力と…どう向き合い、どう力学を生きるのか…その技と知恵との競い合なんだ。

物理的なエネルギーとしての力学だけじゃないよね。そこにあるのは、マインドやスピリッツ、矜持や欲求、願望、思いといった、物量的計測のできない力学も働いている。

だけど、ただ強い力があれば、働けば、それらのものは、自然界のように、調和を生み、ぼくらのいのちを支るように生かされるのだろうか。

力を競うのではなく、力をどう生かすのか、どう自分の力に変えていくのか…。オリンピックでトップアスリートが示していたのは、そのことじゃなかっただろうか。

人々は気づいていない。

だけど、いろいろな競技に感銘を受けていたのは、選手個々の勝利や敗北の人間ドラマへの共感だけでなく、彼らが、競技の中で、普段のぼくらとは違う、力の使い方を見事にやってのけていることだったのではないだろうか。

力のかけ具合ひとつで、モノだって、形にする前に、壊れてしまう。かといって、恐れ、怯え、腰をひいていては、いい形のモノにはならない。自然界は、それをほどよい加減、みなが調和するぎりぎりの加減で力学をつかっている。

ぼくらの家庭、地域、社会、そして世界は、多くの問題をたくさん、たくさん抱えている。だけど、その要因の基本にあるのは、力ですべてを制してしまおうという実に無能で、精細さも、品格もない考え方なのじゃないだろうか。

不正疑惑や利権疑惑にあふれているオリンピックで、世界人類の平和を求めた発祥の動機も失われている。そこで、あるべき人類の力の使い方を、アスリートたちが勝利を求める先に実践している…。

参加することに意義があるといったクーベルタンは、もしかしたら、それを知っていたのかもしれない。