秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ゴシップのしっぽ

この1年から半年の間に、報道がじつにつまらなくなっている。

特に、夜のテレビのニュース報道がNHKはいうまでもないが、各局、じつにつまらなくなっていることに気づいている人はいるだろうか。

左派、右派、中間派関係なく、それに気づいている人は、インテリジェンスやリテラシーの高い人だと思う。

現実に、紋切り型の左派系の人々の批判などより、右派系の人が語る、現テレビ報道のつまらなさへの指摘と非難がじつに説得力がある。漫画家の小林よしのりもそのひとり。

小林は、安倍政権下で強烈に進んでいる報道への圧力が左派系はもとより、右派系の自分たちのような人間にとっても不幸なことだと断じているのだ。

政権批判や政治批判をテレビ、マスコミが声高に主張するところにおもしさがあり、それがあることで、小林を含めそれに対立する意見を持つ者は自分たちの正論を磨くことができたが、いまやそれがないテレビ報道は、見るに値しないとまで言い切っている。

夜のテレビ報道を見ると、それがわかる。今日もトップニュースは、なんと各局、清原の覚せい剤初回裁判の顛末だ。まるで、芸能ゴシップ記事並の報道スタイル。

国会で議論されていることはほとんど報道されない。されても、なぞるだけ。国会で安倍首相が「私は立法府の長だ」とキレ、議論はいくらやっても、決定するのは私だと国会の質疑無視を当然とするような発言をした。

そうした国会審議の中身を深く掘り下げることもせず、全会一致で熊本地域復興のための補正予算が通過したことを伝えるだけ。あとは、生活情報や舛添知事の問題くらい。

TBSのニュース23に至っては、星キャスターになってからというもの、まったく突っ込みが浅く、森元首相東京オリンピック大会の実行委員長が登場すると、ただ横柄に、好きに語らせるだけ。

招致疑惑問題にかすかにふれても、へへーいと森元首相と旧知の星は森元首相に平身低頭。ジャーナリストでなく、まるで、下僕だ。

いやな顔をされようが、小難しい話題だと避けられようが、偏っていると非難されようが、伝えるべきニュース、掘り下げるべきテーマ、継続的に取材し続けなくてはいけな時事的問題が山のように、いま、この国にはある。それらがまったくなされていない。

報道の自由度の低さを見ても、テレビ各局のトップと現政権の親密さからいっても、総務省の恫喝をとっても、現場の報道にとって苦難な時代なのはわかる。だが、それでも、しっかりした理論とビジョンを持ち、それに見合う行動をするのがジャーナリズムだ。

ゴシップをばらまくのが報道でも、ジャーナリズムでもなければ、手軽で、視聴率の稼げるゴシップ情報に振り回されるのがテレビの役割ではない。

だが、どうも、いまの世の中、テレビにせよ、新聞にせよ、大手とか、大企業といわれる組織ほど、まるで自分たちが弱みを握られているかのように、本来あるべき役割を果たしてない。そして、報道する側も、受ける側もゴシップネタで満足している。

ゴシップという言葉は、英語のgossipから来ている。翻訳すれば、噂話。だが、このゴシップ、必ず、どこかにその噂話を始めた、だれかが、なにかがいる。

ゴシップには、仕掛け人や仕掛ける組織があるものだ。いじめが口さがない、ゴシップから始まるように。何かにすり替えて、自分たちの悪意や意図やご都合主義への関心が向かないように、アラがバレないように、世間が合意できる噂話を広げたがる。

噂話は、悪い噂ばかりではない。ときに美談の顔をしているときもある。まるで、それだけが真実かのように、一人歩きさせるために。

ゴシップのしっぽを握っている者たちだけが、その本意がわかっている。だが、いつかゴシップを操作しているつもりが、自分たちの横柄さに業を煮やしたものが、今度は、その自分たちをゴシップネタにする。

ゴシップのしっぽは、より大きい力のある者が握るのだ。それもわからず、大衆を操作しているように勘違いした者たちが、この国には多すぎる。力に頼れば、より大きい力に報復される。しっぽは自分たちだけが握っているのではない。

弱々しくとも、頼りなくとも、誠実に、力に頼らない道を歩め。