秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

厚顔無恥

当事者も周囲も、調整役をリーダーだと思っている人が多い。

調整役や調整作業には、それなりの苦労や労力がいる。だが、それは、何かを生み出し、推進し、道を拓く人ではない。そうしたリーダーがいて、実現へ向けて影の役割を担う裏方が、調整役だ。

ところか、この国では、常に、そうした調整役が地域や団体、組織のリーダー格、ポストに就くということが続いてきた。いわば、村社会の調整機能を残して、そのまま調整役を集団のリーダーや格付けとしてしまってきたのだ。

そうした社会は、本当の意味でリーダーを育てる力がない。リーダーというものがどういものかを知らないからだ。

それでも調整役をリーダーやしかるべきボストにつけてしまうのは、下手にリーダーシップを発揮されると集団の輪が乱されるという警戒心がさせている。また、それまでの経験主義を覆されるとまとまりが付かない、収拾がつかないという怯えがある。

つまりは、自らの集団や組織に新しい価値を受けいれる器や度量、もっといえば、自由さがないことを逆によく知っているからだ。多様な意見が出ることを恐れて、その手前で「調整」してしまう。

じつは、このところ、あちこちで、この壁にぶつかっている。

総論賛成、各論反対。明確に反対するのならまだわかりやすい。総論賛成、各論それぞれ。そして、なにもしない。自ら行動することもしなければ、自ら任を負おうとしない。

だが、それが現実なのだ。それが所詮、この国の変われない現実なのだ。保身と差しさわりのない帰結…。身の安泰ばかりを優先する集団や組織は、それ自体魅力がない。

宮台氏や斎藤氏、尾木直樹氏と20年近く前から闘ってきた壁は、まだ、厚顔無恥にそこに立っている…。

結局、やり切れない思いと責任は壁を壊そうとしている人間が引き受けるしかない。だが、それでもそれを引き受け切ることでしか、やはり、道は拓かない。