秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

可能性

わずかでも可能性があるのなら、それにかける…。今日はそんな言葉を久々聞いた。人にそう語ることあっても、人からそうした言葉を聞くことは少なくなった。新鮮だった。

わずかな可能性にかける…それは言葉では簡単だが、現実にやろうとすれば、そこに挑む人間には大変な労苦や困難が付きまとうものだ。

自分のしたいこと、進みたい道、歩みたい未来…それらを形にできるかできないかは、一重にこの労苦や困難と向き合っていけるかどうかにかかっている。

最初は漠然とした憧れだけだったかもしれない。あるいは、競争心や虚栄心、名誉欲から生まれたものかもしれない。対抗意識や負けん気だけだったかもしれない。場合によって、過去の傷や深い悲しみや怒りといった感情がそうさせたのかもしれない。

だが、わずかな可能性にかける力は、それだけでは生まれない。それだけでは続かない。そして、それだけでは、可能性を拓けないと私は思う。

わずかにある隙間を大きく拓くことがきない…。その厚い壁に、何度も悔しい思いをし、寂しさを感じ、虚しさを感じ、ときに、傷つき、それでも挑戦する。それができるためには、自分の欲や感情を越えたなにかがいるような気がする。

自分のためではない、なにかのためへの思いだ。願いだ。そして、その思い、願いが大きなものか、確かなものか、ゆるぎないものか。労苦や困難は、それを挑む者に問い続ける。

その問いと常に出会い続ける。それが、わずかな可能性を可能にする本当の力だと私は思う。自分をみつめ、自分自身のあり方、考え方を問い直し、自分自身の弱さや不足に気づき、無力さの中でそれでも前へ進む。

できるかできないかを考える人の多くは、できないと投げ出すか、できない理由を探す。できるかできないかを考えない人は、それを実現するために、いましなくてはいけないことに無心になれる。

投げ出したくなることもあっていい、投げ出してもいい。だが、思いが深ければ、人は、また、わずかな可能性にかけて歩き出す。決して、かっこよくも、立派でもなくてもいい。ふらついた足取りでもいい。たどたどしい形で思いや願いの表し方しかできなくてもいい。

みっともなさや頼りなさ、よっわっちさが、だが、わずかな可能性を拓くことだってあるのだ。

人の心を底から動かす力がそこにはあるからだ。と、自分を励ましてみるw