秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

勘違い

勘違いというのは人の常だ。だが、人によって、勘違いに気づかない、勘違いを繰り返すという場合がある。

脳の機能実験でおもしろい検証がある。幼稚園児に日常の風景の間違い探しをさせると短時間でそれに気づくのに、大人にやられせるとまったく気づかないか、気づくとしても時間がかかる検証絵画がある。

あるいは、ある物や風景の不足した絵を見せると欠けた部分を補う力も幼少年の方が早い。

これは、大人の脳が習慣化された認識の刷り込みが深いため、そこにある異質さに鈍感になることを示している。

経験と記憶が、脳を勘違いに気づけなくさせているためだ。

だが、これは単に画像認識の若年層と大人世代との違いを示しているだけではない。大人の世代でも、幼少年のように、脳の勘違いに気づける脳の働きを維持できている人もいる。子どものようにはいかないが、勘違いに素早く気づける脳とそうではない脳があるということだ。

その大きな要因になっているのは、大人の脳の思い込み。異質なものを受け付けなくなっている硬直、いわゆる老化だ。

だが、脳障害の疾患や交通事故による脳ダメージを受けても、リハビリや訓練で、失った機能をそれまで眠っていた脳の他の部分が補うことができる。

つまり、日々の生活習慣や生活への取り組み方、周囲への関心、それに脳の老化を抑止するような学び、あるいは多様な人との交流、文章や絵画、音楽といった脳への新しい刺激…そうしたものとの接点を意図することで、脳の若さを保つことができる。

安保法制や政治の問題で、時代に逆行するような発想やとらえ方しかできない人たちを見ていると、多様性を受け止められる人がじつに少ない。

ありがちな、どこかで聞いたような軍事安全保障の話ばかりで、私のいう富の安全保障も理解できてない。どこが自分の言葉で語っていることなのか根拠が薄いのに、多様性を受け入れず、頑なだから、差別的な発言も平気ですれば、自らを振り返らない。

左翼や過激派や熱に浮かされた常識のない学生だといった、反対する声にいまや死語となった60年代の左翼、過激派とかいった笑ってしまうような言葉しか使えない。つまり、語彙がない。語彙がないのは、脳が硬直しているからだ。

まともな議論ができていないのは、左翼や常識のない学生と古いカテゴリー枠でとら
えている人たちの方ではなく、語彙の足りない自分たちだという認識ができない。

たぶん、日常生活において、他者からも深く信頼されず、若い世代からの評価もそうした人たちには薄い。

子どもを持つ人なら経験があるだろうが、幼い子どもの言葉や反応に、驚かされるときが度々ある。それは自分たち大人を越えているときがあるからだ。

それに気づけない、勘違いの大人たちばかりの国は、いずれ若い世代ばかりではなく、子どもたちからも見捨てられていく。