秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

生きる道

じつは、先月からいま進めている作業のほかに、どうしたことか、安保法制に関する集いでパネリストや解説講演のようなことが増えている。

先々月、先月と続いてる忙しさは、今年取り組んでいる福島県の委託事業のこともあるのだが、そちらは、県内に協力団体や共に事業に参加してくれる仲間がいるので、一定の方向と段取りと基本的な考えが共有できれば、下駄を預けておまかせで滞りなく進む。

そのおかげで、これをサポートする都内、港区を中心にした連携づくりに専念できる分、全体としては求めている成果目標へ進んいると思う。

急きょ、別事業の協力も先月末から始めているが、これも同じ港区の取り組みの中で進めていける内容なので、慌しさはあるが、なんとかできるのではと考えているのだ。

ところが、昨年東映に提案して、すでにカタログに掲載されている教育作品が当初7月完成予定だったのが、6月事業とその後の次回事業へ向けた調整作業の関係で先送りになっていた。先月から試写会の希望が数件出始めて、10月にはリリースしなくてはいけない状況になってきた。

また、先月、いわきでの会合の中で、別の案件の教育映画作品を思いつき、これももろもろ関係団体や関係者の都合を考えると10月末には作品告知のチラシなどは必要ではないかと考え始めた。

この3つ巴、4つ巴の間に、安保法制の勉強会や提案会のようなものが入るようになり、参議院での採決、あるいは不採決と衆議院での再可決へ向けた政治日程に呼応して、頻度が高まりそうな気配だ。

忙しさや慌しさはありがたいことだと思う。いずれもお金になることではないが、真摯に取り組む意義や価値のあることだと感じてるからだ。

いずれもいろいろな立場での考えや意見を聞くことをしなくては先へ進めないことばかりで、自分の思うに任せない部分も多いことからストレスを感じないわけではない。だが、そうした渦中に身を置く、置かされるというのは、自分の思うに任せたい心と度々向き合うことになる。

本来、舞台や映画といった世界で現場を差配する立場にあるため、どうしてもこうしたい、こうでなくてはいいものにならないというこだわりがなくてはならず、また、それが通ることに慣れすぎている。

そんな自分がある意味まったく出せない立場に身を置いていることは、自分にとって、いい修練の場にもなっているとつくづく感じるからだ。

人にはそれぞれの願いや思いがある。同じように見えて、人それぞれ違うように、そこにある思い、思いの発露の仕方、伝え方、表現の仕方も違う。理念や理論の深度も違うだろう。

それを自分の情感や理で説き伏せよう、押し付けようとしてもうまくいくものではない。相手を責める前に、どうすればそれが相手に理解されるのか、どういう視点や言葉を尽くせば、よりよい道を見い出せるのか。摸索し、自らの学びを深めることでしか見えない。

人に伝え聞いた言葉や考えではなく、自分の言葉で語れ、ただ対立のための対立ではなく、みなが共有できる先を見出すためには、違いがあって当たり前だという前提で自らの意志と考え、決意を伝えていくことでしかない。

道を探し、道を求め、この道より行く道はなしと素直に思え、それに賛同する人の力も得られる道とはそうしたところにしか生まれはしない。しんどいが、それが私の生きる道。互いがよくなる道。