秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

稚拙ないじめ

自己責任という言葉は、新自由主義の市場主義経済が生んだ言葉だ。社会的、経済的勝者と敗者の差は、多様な要素が生んでいる。

だが、それを実に簡潔に、わかりやすく二分化し、敗者であることがすべて個の責任であると手際よく処理するために生まれた言葉だ。

その背景には、敗者と勝者の差を生み出す要因を微細に検討すると、勝者にとっての都合のいい制度やシステム、勝者優先の社会構造の歪みが露呈してしまい、大多数である敗者の反駁が湧き上がることがわかっているからだ。

訓練や教育を必要とするもの、その飲み込みに時間のかかるもの、結果、集団や組織の足かせになるもの。足かせでありながら、システムに反駁するもの、問題を指摘するもの。救済にも、教育にも、説得や理解のためにも時間と手間暇というコストのかかるものをすべて簡潔に自己責任の名のもとに、切り捨てる。

その責任は、集団や組織の体質や制度の欠陥、問題。あるいは基準そのものが個人の裁量にゆだねられているという自分たちの側、勝者である自分たちになく、すべて敗者にあるとする歪さ。

この理屈のために、敗者の中からわかりやすく糾弾できる、「怠け者」を探し出し、効率の悪い者はすべて怠け者、主張する者は身勝手でわがままな奴、協調性のない奴とレッテル貼りをして自分たちの正当性を主張する。

この基本にあるのは、人の意見や人のおかれた状況や個々の事情や境遇とそこから発する意見や主張といったものは無視して当然という考えだ。

じつに幼稚で、他者に対して何の努力も、何の学習もない、短絡的なケリの付け方だ。貧相で、教養もない、下品な屁理屈だ。

だが、それがいまこの国には蔓延している。もう30年近く、私はいじめの作品をつくっているが、いじめの構造を学べば、すぐに社会の縮図だということがわかる。そして、それはいまだに終わらない。

朝鮮人は帰れ! 安保法案に反対するやつは日本から出ていけ! 法案に反対する若い世代は利己主義者の集まりだ!

これは、立憲主義とは何であるかというそもそも論を語る以前の、理論でもなければ、理屈にもなっていない。議論の余地も、民主主義もあったものではない。日本人である以前に、人として恥ずべき言葉だ。だが、それが白昼、平然とこの国では言葉にされている。

この人たちは家庭で自分の子どもに何を教えるのだろう。平和のためには軍事による抑止がいるというこの人たちの「平和」とは、いったい何なのだろう。

安保法制擁護というのなら、それはそれでいい。

だが、人として恥ずべき言葉や世界から笑われるような稚拙な歴史認識立憲主義を無視した屁理屈ではなく、世界のあらゆる紛争地で、あらゆる民族に、あらゆる国の人々に伝えられ、納得させ、説得できる言葉と理論で語ってもらいたい。

それに応えられる言葉と理論こそが、普遍的な学問の成果といえるものなのだ。

誰かに、稚拙ないじめのように、つまらない責任の押し付けをするのではなく、自分の不勉強が安保法制のまともな議論の桎梏となっている責任を感じてもらいたい。

子どものいじめの世界をつくった大人たちが、いま子どもより稚拙ないじめを楽しんでいる。