秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

私のための盂蘭盆会

いくつかの新しい挑戦といくつかの以前からの課題と、いくつかの思い残しと、いくつかの形にしたい思いとが、いつも私の中にある。

変わらなくてはいけない自分と、振り返れらなくていけない過去と、向き合わなくてはいけないいまがあり、目指さなければいけない未来がある。

だが、日々の中で、そうした自分自身の問題点や課題を深くみつめることは少ない。大方は、いまに集中している。忙しさに追われている。

今日は、盂蘭盆会の法要だった。

福岡の実家がなくなったいま、実家のお盆法要は父と同居している姉にまかせっきりだ。縁ある鹿児島の家のことも相模原の家にまかせっきりになっている。

亡くなった母が、私が上京してからというもの、なにかの折にこちらにくることがあると、会って小一時間もすると、「忙しいから、もう帰りなさい」と私をいつも促した。学生時代は、帰ろうとする私の手に1万円札を握らせた。

亡くなる1週間前も、病室で別れるときに、「忙しいんだから、もう帰りなさい」といつもの口調でいった。それが母と交わした最後の言葉になった。

姉は、たまになにかの折に電話をくれても、最後には、「お父さんのことは心配しないで」と自分が父の世話はするから、私の仕事を好きなだけやればいいと決まりごとのようにいう。

鹿児島の家もだが、相模原の家も、なにかで連絡を取り合っても、煩雑な事柄は伝えてはこない。私がいつも、いくつかの挑戦といくつかの形にしたいものがあることを理解してくれているからだ。

私の進もうとする道をできるだけ、煩雑な何かで遮らないでいよう。そういう思いが見えている。

だが、そうした近親者や身近な人たちの私という人間の性格を承知で、その私が目指している生き方を押し出そうとしてくれている人たちの思いや願いを大切にいまを生きていると、私は、いまも胸を張れることはできてない。

お彼岸や盂蘭盆会の法要にかかさず顔を出すようになったのは、母が亡くなってからだが、振り返れない私をその日だけ、振り返るように母がしてくれたのだと思う。それは、きっと母が母のためや亡くなった先祖のためにと考えてのことではない。

私のためなのだ。