秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

安心してください…

言葉の大切さ、言葉と言葉のやりとりの妙というのは、学校の授業で学べるものではない。

多くは家族や親族といった身近な世界、あるいは、地域のいろいろな世代や職業、そこに生きる人たちとのつながり、地域の大人から学んでいくものだ。

その基盤の上に、より広い世界の人と出会い、そのやりとりの中で大きく育っていく。

読書がその最たるものだが、良質の映画や演劇、ドラマ、あるいは、ドキュメンタリーは、自らが知らない世界を垣間見せてくれる。生活を越えた世界と出会うことで、知らない言葉を学び、また、その使い方を教えてくれる。

それをより抽象化して伝えるのが、音楽や絵画、造形といったものだ。言葉を不要としながら、それらを理解する力はじつは、そうやって形成されたひとりひとりの言葉の力にあると私は思っている。


そうしたものがない人というのは、言葉と言葉の使い方がじつに狭義で狭窄で、歪だ。思い込みや決めつけも強く、偏っている。つまらない。

俳優にせよ、音楽家にせよ、美術家にせよ、対話しているとじつに会話がおもしろく、愉快な人が多い。常識にとらわれない、生活とは別の言葉を持っている。それが新鮮さと豊かさを感じさせる。

いい言葉、いい会話との出会いは、人を元気にもすれば、愉快にもすれば、また、感動もさせる。

昨夜、予定より早く福島から戻って、あこれこれ片付けをして、テレビをつけると、いつも見ている「天皇の料理番」をやっていた。一汗流したいのをがまんでしてみていると、ラストシーンにこんなセリフのやりとりがあった。

「オレのそばにいてくれんか…それとも、オレは、もうこりごりか…」
「安心してください…」
「?」
「うちは、篤蔵さんより、ずっと長生きしますから…」
「!」

この番組をご覧になっていない方はわからないだろう。この男女はかつて結婚し、男が料理人を目指したために離縁した仲。その主人公の勇蔵が自分を料理人の道へ押し出し、パリまでいかせてくれた兄を結核で失う。その前には、フランスから戻ると、世話になった洋食店のおやじも他界していた。

篤蔵は、「自分を支えてくれた人は先に死んでしまう」と、悲嘆にくれていたのだ。かつての妻に、そのさびしもあったかもしれないが、もう一度、一緒にいてくれと頼んだ。

女は、「はい…」と答える。黙ってうなずく。男の胸に飛び込む…いろいろな常識的な展開がそこにあっていい。だが、この本の作家は、その主人公が失ったものの大きさと大切さ、そして思慕の思いを察して、私は、あなたより長生きして、支えますよといわせている。

「安心してください…。うちは、篤蔵さんより、ずっと長生きしますから」

このセリフはなかなか出てこない。書けない。思わず、私は、涙が噴出してしまった。
作家の言葉の運びに感動しながら、この登場人物の底知れない、やさしさに胸を打たれた。

福島からの帰路のバスが新宿に到着する頃、全員に感謝の言葉を述べさせてもらって、参加したひとつの市民団体の代表の方に、感想を話してもらった。

私への感謝の言葉と励ましの言葉だった。

私は、この篤蔵という男がかけられた言葉のように、福島のたくさんの人の、そして、私の言葉に付き合っていただける多くのMOVEの仲間、FBの友だち、応援する会、それ以外のたくさんの人に、この言葉をもらっている…

そんなことを感じてきた帰路のセリフ…胸がいっぱいになる。