秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人ごみと行列

人ごみや行列がきらいなのは、若い頃からのことだ。

そうなったのは、私たちの子ども時代、連休、祭日に遠出するという生活習慣がなかったこととも関係があるかもしれない。

車を持つ家は、少なかったし、連休や祭日の度に、遠隔地まで出かけられる経済的なゆとりもなかった。安近短が当たり前で、福岡市内や周辺近郊のどこかに行くので十分だった。それに、福岡は、祭りがやたらに多い。

GWは、博多どんたくで母も姉も踊りの連に参加し、博多下町生まれの父は祭りに目がないので、市内を離れないw

さらに、高校時代からは演劇部だったため、連休、祭日、休み期間というのは芝居の稽古でほぼ終わっていた。以来、連休、祭日に脚本書き、稽古が当たり前になった。映像の世界にも足をつっこむと、休日祭日はほぼ撮影でつぶれた。

そのため、家族や仲間と余暇を過ごす術をよく知らないw 結果、わざわざ人ごみに?行列をしてまで?…と無精になったのかもしれない。

もともと、遊びのためにどこかへ行くということができない性分。仕事やなにか作品の関係や取材、学びや人との出会いを結ぶためでないとどこかへ行きたいとも思わないのだ。目的のないことができない。

人ごみと行列。それがあるところには、なにかの話題やブーム、トレンド、アミューズメント、イベントがつくられている。なにかを消費させるしかけがある。

ふるさとへ帰りたい。たまに家族旅行をしたい。それは庶民の当然の感覚だ。たまの休みに、交流を確かめ、楽しい時間を過ごしたい。それも庶民のごく当たり前の日常を支えるためのものだ。

だが、その中で、現実のなにかを忘れることもできる。束の間の楽しさや幸せがあるからいいかと物事を曖昧にさせることもできる。

人ごみと行列から、距離を置いて、それを見ると、そのにぎわいの外れに、違う風景や人が見えることもある。そこに、自分が目を向けないといけない、目的があることもあるのだ。