秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

じつに、虚しい

『日本の面影』を著した小泉八雲。晩年の口癖は、庭の桜のように人知れず散りゆくことだった。

自分が亡くなっても、大仰に葬送のためのなにかはやらなくていい。もし、自分の死を知らない旧知のだれかが尋ねてきたら、「ああ、あれは、先日他界しました…」。そう伝えてくれればいい。

実名、パトリック・ラフカディオ・ハーンは、アイルランド出身。日本へジャーナリストとして来日したが、すぐに契約を破棄して、松江尋常中学、現松江北高校と高等師範、現島根大学の英語教師として島根に赴任した。その後、東京帝大の英文学講師をやり、晩年は、早稲田大学の講師で終わった。

いわゆる当時のお雇い外人といわれた欧米人のひとりだ。だが、母国アイルランドや隣国スコットランドと同じ風土を日本に感じ、教育的使命感以上に、日本の文化に共鳴して、日本に定住した。

桜に樹木以上の思いをかける、日本人のメンタリティをよく知っていた。

だが、その日本への共感の基本にあったのは、江戸から明治初期、まだ、この国に残されていた、近代化によって失われる以前の日本の文化や風土だった。八雲が生きた時代は、戊辰戦争以前の日本の面影がまだ、残されたいたからだ。

人と出会うと見ず知らずの者でも会釈をし、笑顔を見せる。朝、昼、夜を通じて、生活の決まり事や伝統的に受け継がれている生活習慣と所作を守る。そこに、なにかの宗教的精神性があるかのように…。

それを象徴したのが、日本人の必要なものだけを自然からもらい、必要以上に自然の循環に逆らわない生き方だった。その背景にある、自然への畏怖と尊敬だった。

その日本人の精神性と文化を愛したのだ。それは欧米が近代化によって見失ったもの、捨て去ったもの、その結果、破壊と蹂躙によって、自然を基本とした土俗的文化とそれが生み出した循環型の生活を低俗と否定した。

陽気もよくなるこの時期、桜を観るのをかねて、〇〇ウォークというイベントが中高年の間で流行っている。私の運動コース、乃木坂から青山霊園、外苑へ向かう通りもそのコースになっている。

だが、片側歩道しかない道をなに憚ることなく、歩く。狭い道をふさいぎながら景色を観たり、同伴者と話すのに夢中で、向いから歩く人やジョギングの人は気にしない。目の前にきてやっと、一列になるが、また元に戻る。

いい歳をした、どちからといえば、高齢者の集まりに近い人たちが、それをやっている。この人たちは、自分の子や孫にどんな教育をしてきたのだろう…。

「ちょっと。ここは歩道が一本しかないんですから、一列で歩いてください!」。よほど、そう声を上げようかと思ったが、これは、このウォークの担当者なり、責任者にいうべきだろうと声を飲んだ。

246の通りにでると、導線を案内している団体の係らしい男性がいたので、注意しようと思ったら、まさに、私が言おうとしていたことを参加者に叫んでいる。

つまりは、その場で聞いても、すぐに自分の都合に戻っているということだ。

人員をもっと配置しなくてはムリなのだろう…。と思ったが、よく考えれば、悲しいことだ。人に注意され、指図され、あるいは、だれかから苦情をいわれなければ、こんな当たり前のことに気づきもしなければ、できもしない。

主催者の関係者ではなくても、いい大人たちなのだから、だれかがリーダーシップをとって、声をかければいい。

そんなこともできない大人たちがいる風景のまま、国民の生活を守る、いのちを守るために、先進諸国並みの有事の法制を…。日本を取り戻すのは、こうした風景をなくし、桜が日本人に育んだ生き方の作法を取り戻すことが先だ。

美しい国、日本の〇○!、おもてなし…じつに、虚しい。