秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

血栓

昨日は、ある集いのあと、グッチ裕三さんが経営する「うまいぞう」でいい時間を過ごさせてもらった。3.11東日本大震災を忘れないのイベント案内もさせてもらった。

集まったのは、私の事務所近くで古くからお茶の販売をやっている家の方。お茶屋さんをやっている義理のおかあさんが乃木坂48の取材で登場してから、アイドルになってしまったw

もうお二人は、表参道にある青南小学校卒で、東京オリンピックの道路拡張工事で港区を離れた方など、世代も近い男性中心の集まり。

それぞれの近況や最近の出来事など語り合ううちに、どうしたことか、循環器系の疾患の要因になっている「血栓」の話になった。

Oさんは、娘さんが突然、意識がなくなり、けいれんを起して救急車を奥さんが呼んだ。ところが、救急車がかけつけると、ふっとなにもなかたように娘さんの意識が戻ったらしい。

症状がないのに、呼んだ呼ばないで救急隊員と一悶着あったらしいが、後日、病院にいくと、血栓ができるとそうした症状が起こると医師から指摘され、精密検査を受けることにしたという。

Mさんは、数年前に動脈瘤ができて、救急車で運ばれた。これも血栓が肥大して血液の流れを遮断してなる。

人の体を流れる血管。滞りなく血液が流れていることを私たちは普段意識できない。

せいぜい健康診断の際の採血や献血でデータをもらったとき、高脂血症の傾向があると感じることくらいだ。それでも、Oさんの娘さんやMさんのような体の不具合が現れないと実感は持てない。

私たちのからだを流れる血は、親やその親たちから営々と受け継がれてきたものだ。それが滞るということは、そうした営みをどこかで忘れている私たちに、それへの感謝や受け継がれている思いを伝えようとしているのかもしれない。

同席してくださっていた、別の方のお話だ。なるほどなと思った。

循環器系の病気に限らず、多忙やストレスを抱えていると、私たちはつい身近にいる人のこと、親のこと、子どものことに、無頓着になってしまう。心がなにかでいっぱいいっぱいになって、周囲への目配り、気配りより、自分のことに必死になる。

だが、よく考えれば、自分のことに必死になることで、結局、生活を乱し、心を乱し、いつか血栓ができてしまうような暮らしをしているのかもしれない。

自分にそうした症状が現れなくても、身近な人や大事な人にそうした症状が出ることでおろおろする。だが、それは家庭のつながりを含め、血流の滞らない生活になるようにと教えられているのかもしれない…。

なるほどと、なんたか、そうしたつながりを大切にしていない自分のことを指摘されているような気になった。

人は自分が苦しさでいっぱいになると、自分のために苦しんでいる人のことを考えられない。心配してくれている人たちのことを深く考えない。

前へ。前へ。そればかりでは、足元が崩れる…。

確かに。今日のラグビー日本選手権準決勝第一試合。清宮監督が率いるヤマハの試合。その両方がきちんとできていた。