秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

踏み絵

大寒の今日からしばらく、早朝起きが続く。

毎年この冷え冷えとした時期になると、というのは、つまり旧正月の節分前になると、1週間ほど早寝早起きし、片道45分の行程を自転車で参拝している。いつもは不眠症で、睡眠も深くない中年男が…w 異例のことだ。

たまに、深夜まで起きていて、起きられず、怠けてしまうときもあるのだが、いろいろと思うところがあるときは、できるだけ続けている。

今年は、昨年来から、知り合いに不幸があり、つい最近、発病した方もいるので、ささやかながら、そうした方への思いを込めてやっている。また、私の仕事の壁もある。

私はなにかを信仰し、どこかの宗教に属すことに偏見はない。また、属さないならないでいいと思っている。
 
どのようなものであれ、人の幸せや自らの幸いを願うのに、キリスト教ユダヤ教イスラム教、仏教、神道…等々の世界の宗教やそれらに関連する宗教団体に基本的な差異はないと思っている。

また、そうした具体的な信仰対象を持ってないとしても、その人の生き方や生活の中で、自分を振り返り、課題を自らの努力と葛藤で解決でき、かつ、他者の幸いために何かができる人がいれば、あえてそうしたものに触れることもなくていいだろう。

自己啓発的な宗教もどきなものには、抵抗があるが…

大事なのは、どのような宗派、宗教、団体にいるにせよ。あるいは、自己啓発をやるにしても、その人の人となりや言動が私にとって尊敬でき、信頼できるものであれば、それでよいのだ。

 
これは、政治における政党においても同じだ。
 
 
基本的に、私は周囲から自民党嫌いと思われている。じつは党派はまったく意識もしていなければ、好き嫌いの基準になっていない。これは、私が尊敬する石橋湛山自民党総裁だったことを見ればわかるはずだ。そもそも好き嫌いという心情で政治を選択するからおかしなことになっている。
 
どの政治家であれ、その人の目指す政治理念と言動と実行が問題なのだ。その意味で、私は湛山と同じく実証主義者かもれしない。

宗教においても、政治にもおいても、それは同じだと思う。そして、共通の要素の大事なひとつが、自らの言動やビジョンが大きく周囲や社会、国、あるいは世界に影響するという事実だ。

 
これについては、宗教も政治も謙虚であるべきだと思う。
 
昨日、ニュース報道をみていて、すぐに、危い!と直感した。イスラエル訪問の安倍首相の言動だ。
 
アメリカですら、世界情勢を見ながらイスラエルとの国交やパレスチナ問題に神経を使っている。それは、いうまでもなく、終らないパレスチナ問題があり、9.11があり、いま現に、イスラム国という現実があるからだ。
 
これではテロ対象国家になる…そう直感した人はきっと私だけではない。そして、今日の報道で、当ってほしくない予想が的中していた。イスラム国による日本人ジャーナリストの拉致…。

中東においては、NGOやNPOの精力的な活動もあり、日本は敵国とは見なされていない。アフガンなどで、邦人が拉致、殺害された事件が数件あるが、宗派の仮面をかぶった夜盗のような組織が多かったのだ。救出されたケースは、イスラムの正当な宗派、宗教団体が荒くれ者たちを説諭して成功している。

だが、いまは当時とはまったく状況が違う。その最中に、和平工作の調整のためでもなく、国交の強化だけをアピールすれば、あのおバカなブッシュ息子と同じに見なされる。そんな簡単なことが政治をやっている人間がわからないのだろうか…

イスラム国パッシングばかり欧米ではやっている。それに乗って同じことをやれば、当然、こうしたことがこれからも起きる。言論の自由とは、欧米だけにあるのではない。中東にも、アジアにも、世界にそれぞれの言論の自由がある。暴力はいけないとしても、その自由がわが自由のみが自由であると押し切れば、対話も、理解も生れない。
 
日本は、昨日、多くの国民が想像できない、テロ対象国の踏み絵を踏んでしまっている…