秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

抱きしめて、生きろ

平均寿命が伸びたといわれて久しい。だが、いま寿命の長い方というのは、戦前に生まれ、戦中、戦後の貧しい時代を生きてきた方たちが大半だ。
 
食の上では、戦前から戦後まもない頃まで、粗食の中で育ち、かつ、軍事教練を含め、交通手段も不完全だったから、若い頃から体を否応なく、鍛えられている。
 
 
いまのように、異常なほどに食の衛生にこだわれるほど、食は豊かではなかった。特段、豊かな家庭に育っていなければ、栄養価の低い食事や賞味期限が切れていようが、土にまみれようが、それを食べても体を壊さないだけの免疫力と耐性がある。
 
それだけ、貧しかったからだ。

そうした世代が医療が充実し、食が豊かになれば、より寿命が長くなるのは、ある意味当然のことだ。

逆に戦後世代、昭和20年から昭和25年生れの団塊世代とその後の世代は、思春期以後、高度成長期からそれまでの日本人の食や生活とは大きく違う環境に育っている。特に、団塊世代は、急激にアメリカナイズされ、食は激変した。
いままでこの国になかった食文化と生活文化が一機に押し寄せ、それはやがて、その子どもたちへと受けつがれていく。
 
結果、アトピーなど花粉症アレルギー、免疫疾患といったものは、戦後の食生活や住環境の中で、大きく増大した。それでいながら、耐性を鍛える生活環境はどんどんなくなり、運動量が減り、食は豊穣になった。同時に、欧米とはまではいかないが、スタイルもよくなった。
 
よく私より少し上の団塊世代の方たちと話して頷くのは、自分たちの世代からは長寿国ではなくなるだろう…という話題だ。

そして、この数年、私の周囲で、団塊世代の方たちが、まだ70歳にまで届かない内に、体調を崩したり、重篤な病気に冒されるということが起きている。逆に、70歳以上のいわゆる後期高齢者の方の中に、元気な方がいたりする。
 
もちろん。脳卒中や脳溢血、膠原病、心疾患といった高齢化に伴って多くなる疾患で、介護を必要とする人、認知症によって生活不全を起こす人たちは増えている。

しかし、そこへ至る前の健康な高齢者も同じように増えている。高齢者がかつてのように、一括りにできなくなった。

うちの若手メンバーのご尊父がなくなられたと知らせをうけたのは、先週だ。享年64歳。まだ、若い。私の姉の年代だ。ご尊父がそうした生活だったかどうかは知らない。ご苦労もされたと聞いている。だが、70歳に届かないというのは無念だったろうと思う。
 
つい最近、私の知り合いで、重篤な病気を罹患した方もほぼ同じ年代…。よく聞くと、同世代で発がんして亡くなっている方が多いという。

私は45歳のときに、救急搬送された。そのとき、もうダメだろうな…と覚悟した。そして、人の一生はこんなふうに、無念の中で終わるものだろうと納得しようとした。やりたいこと、片付けておきたいこと、なによりもつくりたい作品のこと、そして子どものこと…
 
いろいろな思いがめぐったが、自分の力だけではどうしようもない現実があることを痛感した。
 
ただひとつ。最後にしておきたかったのは、まだ中学生だった子どもの手を握ることだけだった。酸素マスクをはずせないため、なにも声はかけてやれなかった。ただ、そうすることで、離婚し、苦労をかけても、奴への父の愛を伝えられれば、それだけだった。

貞よ。無念なのはお前だけじゃない。おやじさんもきっとそうだったろう。だが、きっと伝えたい愛はあったはずだ。それを抱きしめて、生きろ。