秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

成熟化のあと

画一性から遠い町。私はそういうところが好きだ。
 
いま欧米からの旅行者に一番人気のある東京の街は、谷中など下町だ。彼らはよくわかっている。
 
銀座やヒルズ、ミッドタウンなど、世界の大都市と同じ、画一的に造形された都市の象徴のような町にきたいと考えるのは、アジアの新興国の人が多い。
 
高度成長期から消費社会へ向かう40年、30年前の日本人の多くが、彼らと同じだった。

成熟社会をいち早く経験し、同時に、自国の歴史的建造物や造形を誇りとし、伝統と歴史の中にある住居にいまも生活を続ける欧州を中心とした人々が、マンハッタンやシンガポール、東京、上海のような造形された都市ではなく、その国の伝統文化、庶民生活の触感を求めている。
 
一方で、スクラップ&ビルドの新興国の人々は、かつての私たちと同じように、自分たちの歴史的建造物や庶民生活の空間を捨て去り、アメリカのマンハッタンに象徴されるトレンドとブランドに溢れる町をめざし、かつ、旅先でもそうした場所で消費生活を謳歌する。
 
資本主義経済の過程を生きている時代の違いといえば、その通りだろう。
 
だが、そうした生活を体験し、成熟化を迎えた多くの国々の人々が気づいているように、後者の時代は長く続かず、いずれ低成長と少子高齢化が必ず来る。
 
そのとき、画一的で、健康な世代がバリバリ仕事をし、享楽するだけの街は、そこに伝統や文化、歴史や人の触感といったものを失えば、何の価値もないものになる。

昨年末から、蒲田へ通っている…とはいっても、いまはなき、松竹蒲田撮影所の残像を追っているわけではないw 仕事の都合だ。おそらく、3月まで蒲田通いが続く。
 
そこで見た町の風景はじつに、歪だ。

依然、昭和のなつかさと怪しさを感じさせる。だが、駅周辺は他の郊外都市のように、整備され、暴対法の関係で、その筋の人も減ったらしい。
 
それでも、暗がりの奥へ行けば、まだ、蒲田ならでの怪しさの予感がする。だが、、地元商店街にも裏通りにも人が流れている。そして、そこを行く人たちが、一色ではない。
 
町の力、地域の力とは、じつはそういうところにある。歪さは、その在り方ひとつで、多様を受けいる。その多様さが、じつは力を生む。一色ではないから、あれこれもめる。まとまらない。だが、それがあるから、社会的弱者にも居場所をくれる。
 
成熟化を達成した欧米の人々が、その歪さを求めるのは、そこに次の道を拓くヒントがあることを生理的に理解しているからだ。

成熟化を生きながら、まだ、それに気づけない、この国とこの国の人の弱さの元凶は、じつは、そこにある。成熟化のあとが見えない国は、次の世界での居場所を失う。