秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

未知を乗り越える

まったく、未知の人たちと、まったくこれまでなかったこと、だれもやらなかったこと。それをやるとき、人はいろいろな壁にも、障害にも、そして、波乱にも出会う。
 
中国の北京医科大学と長野県茅野市蓼科高原の事業体との合弁事業をプロデュースしたときも、北京医科大学(現北京大学医学部)はもとより、クライアントであった蓼科高原の人々もそれまで未知の人々だった。
 
背後に中国共産党指導部の弁護士がいる中、当初、なかなか日中初の合弁事業の平和的意義と、それが後の世代にとっての新しい交流、友好の場になることの私たち先行世代の役割、国際的役割が通じなかった。それは蓼科高原の人々も同じだった。

イラク戦争前、紛争地域のNGOとロス、ニューヨークの9.11関係の団体を取材にいくときも、その意義と意味がなかなか理解されず、出国の2週間前にやっとGOが出た。

ニューヨークでは、取材の意図を現地コーディネーターが理解するまで、議論が必要だった。遺族に直接的な質問はしたくないという彼といや、すべきだ。アフガン空爆イラク戦争反対ができているのは、被災者遺族がその使命を理解しているからだと主張する私とに、私と彼が未知であるがゆえの壁があった。

福島の支援協働事業の一歩として始めた「大いわき祭」も、いわきという未知の人たちと港区行政や東京ミッドタウンの未知の人たちの間で、多くの壁と障害とぶつかりながら、実現した。

そして、今回三回目となる応援学習バスツアーも同じように、いろいろな未知同士ゆえの問題を抱え込みながら、もっと前へ、少しでも前へと苦渋の中で進めている。

未知ゆえの困難は、私を幾度も追い詰める。だが、その中で、自分という人間のあり方も振り返らされれば、いま自分という人間にある課題や問題にも向き合わされる。
 
そして、それに気づき、深く周囲や自分のことを考えるほどに、応援してくださる方や助けてくれる仲間が現れる。
 
私はそうやって知人をつくり、それが仲間となり、そして友人、親友となっている。
 
苦しいときに自分を心配してくれ、困難のときに、手を貸してくれる人間だから、仲間や友人なのではない。互いの未知を互いの努力で乗り越えていったから、仲間であり、友人なのだ。
 
そのためには、まず自分が逃げないこと。人は未知であるがゆえに、逃げることはあっても、自分が踏みとどまっていれば、きっと壁は越えていける。私は、そう信じている。