秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

太宰と三島

fbなどSNSで、自分撮りをする人がいる。

私もごくまれに、意図することがあって、自分の写真を自分で撮ってアップすることがあるが、ほぼ毎日のように、それをやる人がいる。当然ながら、大半は女性。
 
じつは、SNSなどない大正・昭和初期に、やたら、この自分撮りをやった、元祖のような人がいる。女性ではない。いまも多くのファンを持つ、著名作家だ。

以前、書いたことがあるが、私は小学校高学年から中学生まで、とにかく本の虫だった。当時、ファミコンデジタルゲームなどない。現実逃避のように、いまという時空とは別の時空へ飛翔するには、本がとても便利だったのだ。
 
福岡の都市部から北九州門司の田舎町へ転校した私は、地元の子どもたちになじめず、それを心配した父が買い与えてくれた「ロビンソンクルーソー漂流記」に始まり、ついには、小5でドストエフスキーの「罪と罰」、トルストイの「戦争と平和」まで読んでいた。
 
同じ転校生仲間が増えると、やっと友人ができ、今度は彼らと競うように、学業に夢中になった。それまでの私からは信じられないことだ。
 
中学でまた転校し、そこでも異邦人の私は、読書に拍車がかかった。図書室の本のおそらく、自然科学以外の本はほとんど読み尽くした。
 
その中に、太宰治がいた。当時は、嫌いだったw 白樺派にはまっていたからだ。ドイツ文学のヘルマン・ヘッセなどに夢中になっていたのだから、太宰は受け付けない。
 
だが、高校生になると、それが一変した。太宰の秀逸さに羨望さえ抱いた。だが、それは恥ずかしくてだれにもいえなかった。太宰は女が読む文学だ。私はなぜかそう思っていたし、実際、女性ファンが多い。

男らしくない、女々しい、演出が過ぎる…それに女性を幾度も未遂を含め、自死の巻き添えにするなど最低だ…などと友人と文学の話をすると味噌くそにけなしていた。
 
後年、三島が太宰をけなしてばかりだったのを知った。

太宰に会いたくて、鎌倉の井伏の家で会ったときは緊張してなにもしゃべれていない。そのくせ、そのすぐあとから、太宰はバカだと友人にふれまわっている。
 
三島は太宰を尊敬し、それゆえに、屈折した太宰への思いがまったく対極の男性美を追求させた。

乱暴な言い方をすれば、太宰は自分の女々しさに正直。三島はそれを必死でごまし、最後までそれを貫いて割腹した。二人とも女性性が強かった。二人ともナルシスト。三島も写真好きだった。映画にまで出演している。現れ方が違うだけのことだ。

だが、でなければ、あれほどに、繊細で、美しい日本語は書けない。

昨夜、BSプロファイルで、その太宰をやっていた。つい、思い出してしまった。
http://www.nhk.or.jp/aomori/program/b-det0098.html
 
三島のことにはふれていなかったが、太宰も三島もそれぞれ、津島修治と平岡公威という女性性の強い男がつくったもうひとつの人格だ。

津島は太宰治に自分を書かせ、平岡は三島由紀夫に自分を書かせた。また、津島は太宰をプロデュースし、平岡も三島をプロデュースした。つくられた太宰も、三島も、津島と平岡の生きる限界がくれば、演出された通りに死ぬしかなかった。
 
しかも、それらしく。太宰は女性と入水。三島は武士道の様式に倣い、割腹、斬首。
 
太宰は達者なコピーライター兼プロデューサー。三島は人との関係に立体感のない二次元の秀逸な表現者…。二人とも最後は自ら終りにするしかない作家。

うーん。やはり、私は二人ともキライだw


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